2014年2月5日水曜日

四国巡礼~十三仏御本尊~文殊菩薩

 おはようございます。
お釈迦様と共に座しておられる一人が文殊菩薩です。文殊師利(マンジュシュリー)といい、実在の人物ですね。幼い時から「三人よれば文殊の知恵」と教えられてきましたが、賢い智慧の仏様です。四国88ヶ所巡りで、文殊菩薩を御本尊に祀っているのは第三十一番札所五台山竹林寺だけです。境内は素晴らしい庭園で、大変印象深いお寺様でした。


四国88ヶ所巡礼HPより

竹林寺の歴史・由来

♪土佐の高知の播磨屋橋で坊さんかんざし買うを見た…で有名な「よさこい節」の舞台であるほか、学僧・名僧があつまる「南海第一道場」とされた学問寺院としても知られる。鎌倉から南北朝時代の高名な臨済宗の学僧、夢窓国師(1275〜1351)が山麓に「吸江庵」を建てて修行、2年余も後進の育成に努めた。また、門前横には高知が生んだ世界的な植物学者、牧野富太郎博士(1862〜1957)の記念館と県立牧野植物園があるように、土佐の信仰や文化の中心地とも、土佐随一の名刹ともいわれた。
縁起では、神亀元年ころ、聖武天皇(在位724〜49)が中国・五台山に登り、文殊菩薩に拝した夢を見た。天皇は、行基菩薩に五台山の霊地に似た山容を見つけるよう命じた。行基菩薩はこの地が天皇の霊夢にふさわしいと感得、自ら栴檀の木に文殊菩薩像を彫り、山上に本堂を建てて安置した。その後、大同年間(806〜10)に弘法大師がここに滞在して瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復、霊場にされたという。
慶長6年(1601)に山内一豊公が土佐初代藩主になって以来、歴代藩主の帰依が厚く、祈願所として寺運は隆盛した。「文殊堂」と呼ばれる本堂は、江戸時代前期の建立で国の重要文化財。この他、山門左手の宝物館には藤原時代から鎌倉時代にかけての国指定重要文化財の仏像17躰が収蔵されており、まさに県内きっての文化財の宝庫といえる。
眼下に高知の市街が眺められ、瓢箪形に食い込んだ浦戸湾が美しく広がって見える。

竹林寺の山門です。合掌礼拝し入山します。

山門から本堂への境内が広がっています。
  
さて、文殊菩薩様ですが、学生の方であれば、勉強の意欲がわいてこないときとか、試験にのぞむときとか、また社会人であれば、企画を任されたときとか、仕事の方法の改善とか、経営者であれば、戦略を考える時とかに、ご真言「おん あら はしゃのう」と三回、七回、21回と、唱えれば潜在意識の奥深くから知恵が湧いてきます。

四国八十八ヶ所巡礼のお寺さんで、納経すると必ずこの御影のお札をくださいます。これが竹林寺さんの文殊菩薩像です。空海さんが唐から戻られて、朝廷に上程したお経の中に、「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」という経典があります。
文殊師利菩薩が書いたものです。それぞれの人間がどのような性質をもって生まれてきたが書かれていますが、不思議なお経ですね。詳細は真言宗のお坊さんに聞いてみてください。それでは皆様のお知恵がましくわわりますように「おん あら はしゃのう」 合掌 徳温禅月。


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