おはようございます。
正直、佐世保の同級生女子による高一女子殺害のニュースを目にするたびに、心が落ち込んでしまいます。亡くなられた少女は、どれほど無念だったでしょうか。どれほど悲しいかったでしょうか。どれほど苦しかったでしょうか。
わが子を亡くしたご両親の苦しみはいかほどでしょうか。悲しみはどれほどでしょうか。慟哭、泣き崩れるご両親の姿を思うと、心が締めつけられます。同級生、友人の悲しみもまた、拭い去れない。どうして、どうしてという声が聞こえる。
瀬戸内寂聴さんが、「いま釈迦のことば」(朝日文庫)という本を出した時、最初の言葉は「殺してはならぬ」です。お釈迦様の言葉を編集した「法句経」(ダンマパダ)から寂聴さんが選出したのですが、最初のことばは「殺してはならぬ」です。
「すべての者は暴力におびえ、
すべての者は死をおそれる。
わが身にひきくらべて、殺してはならぬ。
殺させてはならぬ。」ー法句経129-
「すべて者は暴力におびえる。
すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。
わが身にひきくらべて、殺してはならぬ。
殺させてはならぬ。」-法句経130-
「不殺生、殺すなかれ、殺させるなかれ」は、人類の戒律ではないでしょうか。人間がこのもっとも重要な戒律を守ることができないとしたら、人間ではなく、餓鬼であり、悪魔に成り下がっているのです。いかなることがあっても守らなけれならないもの、「殺すなかれ」です。
人間という字は、人の間(あいだ)と書きますが、人と人のふれあい、人への思いやりがあって初めて、人間なのです。このような人間生活を放棄したとき、悪魔がすり寄ってきて、「殺せ」とささやくのです。悪魔にこころを奪われてなりません。
戻ってきてほしい、しかし戻っては来ない、この悲しみを拭い去ることはできるでしょうか。これから人生の夢や目標に向かって、進むもうとした少女の魂は、悲嘆にくれています。どうそ、その魂が御仏のみもとで慰めれますようにと祈るばかりです。南無釈迦牟尼仏 合掌礼拝 徳温禅月。
参考図書 「いま、釈迦のことば」 瀬戸内寂聴著 朝日文庫
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