2012年12月21日金曜日

メリークリスマス

 おはようございます。
昨日のブログで、イエスキリストの誕生のとき、東方から三博士が拝みにきたと書きましたが、東方とはどこですかとのご質問がありました。聖書から特定することはできませんが、ペルシャ(イラン)かインドだと言われています。

天体や星の動きなど見る人たちという事になると、インドが最も進んでいたかも知れません。昨日書きましたが、今日でもチベットでは、イエスキリストと同様の方法で大僧侶の後継者を選ぶことができますから、当時もそうだったのでしょう。イエスへのお誕生の贈り物の中身が、黄金・乳香・没薬(もつやく)と聖書に書いていますので、インドの線が強いですね。(昔はパキスタンもインドでした。)

紀元前3世紀頃には、アレキサンダー大王の遠征や、アショーカ王の仏教の西方への伝道などシルクロードを通って、交流が盛んであったことなど考えますと、インドの僧侶だと思います。ドイツの宗教学者のホルガー・ケルステン氏「イエス復活と東方への旅」に詳しく書いています。この本は37ヵ国語で400万部出ているそうです。

聖書には、13歳のイエスが登場してくるだけで、14歳くらいから30歳までのイエスの行く末は全く書いていません。ホルガー氏などの研究によれば、インドのカシミールにて修行していたとのことで、仏陀の教えや、ヨガや座禅を身につけ、熟知していたようです。ですからキリストの言ったこととブッタの言ったことには、多くの類似性がみられるわけです。

わたしは、2000年に渡って、またこれからも多くの人に影響を与えるイエスキリストの誕生を祝うことは、間違ったことではないと思いますが、日本の留学生がアメリカでクリスマスの意味を聞かれたら、サンタクロースの日でしょと答えたという話もありますので、グローバルな時代ですから宗教教育もしていかないと日本人は笑われます。

それでは、イエスはなぜ生れてきたのでしょうか。それは人間が神に背き、間違った生き方をしていたので、神の化身として、人々の生き方をただし、その魂をいやし、救うために生まれてきたのです。仏陀は、人間には仏性が備わっていると言い、キリストは霊性があると言いました。そして聖霊が働くとき、霊性(仏性)が目覚め、高めれて、正しい生き方ができるのです。そしてキリストは昇天するときに聖霊を私の代わりに使わすと、人類の救いの方法を言ったのです。仏教でいう観音菩薩に近いかもしれません。

キリストの生まれ変わりとか、仏陀の生れ変わりだという新興宗教の教祖がいますが、すべてうそ、でたらめで、そのような邪宗に惑わされないようにするには、本物のキリストや仏陀の名をあげて、祈ることです。そうするとそれが邪宗であると心の奥深くから答えがかえってきます。今は聖霊の時代ですので、キリストや仏陀は、聖霊や菩薩としてともにいますので、生まれ変わる必要がないのです。

この世は、すきあれば悪魔が巧妙に誘い、悪へと導きます。アメリカの小学校で26名の子供たちが、銃弾の犠牲になりました。(亡くなった子供たちのご冥福をこころよりお祈りします。)単なる精神異常者では片づけられない問題あるのです。また、銃規制をすると同時に、宗教教育をし、家庭の中で祈りのある生活をすすめることが特に先進国では求めれていると思います。どんなに物質的に豊かになっても、精神は病んでいるのです。うつ病患者はちまたにあふれ、自殺者が10数年、3万人以上いる国は異常です。


クリスマスおめでとうございます

処女が身ごもって、そして男の子を産む、その名は、インマヌエルと呼ばれる。
(訳すと神は私たちとおられるという意味である)聖書より
いと高い方に栄光あれ、尊厳なる方に誉れあれ。


「絶望は私を鍛え 希望は私を動かす」 パククネ(韓国初女性大統領)

キリストや仏陀は、あなたの中にいるのです。さあ新しい年に向けて準備しましょう。私もクリスマスとお正月休暇をいただいて、瞑想と祈りの日々を過ごしますので、ブログは3日までお休みします。皆様、おひとりおひとり、良いお年をお迎えください。


2012年12月20日木曜日

女性大統領ーそれぞれの使命ー

 おはようございます。
韓国の大統領選も予想どおりでした。初めての女性大統領が誕生しましたが、なぜ予想通りかというと、世界の人達は、いわゆる安定成長を求めているからです。確実に手堅く、みんなが幸福になってほしいと念願しているのです。政治はそのための手立てを行うべきだし、国民はそのような人を選びます。顔相に、温和で温厚な人柄や誠実さが出てない人は、リーダーになれないですね。顔で選ぶのかという方がいますが、人間の内側はすべて外側に出てきます。大統領に立候補する人たちはみなさん顔相がいいですね(敗れた方も)。その人の顔立ちや、所作振る舞いを見ていればどれほどの人か自ずと見えてくるのです。もしあなたが見えて来ないとしたら、あなたの感性が鈍いのです。(但し、韓国では美容整形が流行っているのでご注意。)

韓国初の女性大統領の名前は、パククネさんですね。お母さんが暴漢の銃撃で倒れ、お父さんも重用していた部下に暗殺されます。そしてパククネさん自身が、暴漢に頬を切られます。このような境遇にあった人は、普通、政治や社会から身をひそめますが、彼女はPTSDを克服し、こころざしを持って、政界に復帰したのです。このこと自体がすでに人々に勇気と自信を与えていますね。政治についていえば東アジアの平和と安定のためには、日本とアメリカと韓国がしっかりと手を取り合うことです。新時代へと、多大な困難を共に乗り越える安倍さんとオバマさんとパクさんの顔がそろいましたね。応援しましょう。

すべての人が、使命を持ってこの世にいのちをいただいて生れてきたのです。誰一人無駄に生まれてきた人はひとりもいません。皆さんは、人は潮が満ちるときに生まれ、潮が引くときに死ぬという事を聞いたことがあると思います。この宇宙の法則の中で、人は生まれるのです。

世界のリーダーは、ただなりたくてなっているのではなく、あるいは努力したからなっているのではなく、そうなるように生まれてきているし、世界の一人一人もその人に託された使命を持って生まれてきているのです。あなたも使命を持っているのです。

もうすぐクリスマスですが、イエスキリストのお誕生会ですね。イエスキリストが生れたとき、東方の三博士が天体をみていて、エルサレムに救い主があらわれると知り、星がエルサレレムの馬小屋の上に止まるのです。そこでイエスキリストは生まれたのです。皆さんは信じますか。現在のダライラマ14世は、13世の子供ではありません。チベットでは僧侶は妻帯(結婚)しません。天体の動きを見て、どこに生れるかを察知し、調査し、高度な試験を受け、ダライラマ14世として認定されたのです。転生輪廻と言いますが、信じますか。

空海さんと最澄さんは、仏教を学びに唐(中国)に行くときに、宇佐神宮にお参りして、渡航の安全を祈願して、大きなこころざしを持って、4艘の船で出発し、大嵐にあい、中国にやっとたどり着いたのは、最澄さんの船と空海さんの船の二艘だけでした。不思議ですよね。この二人が日本仏教をつくるのです。それが比叡山の天台宗と高野山の真言宗で、このあとに親鸞さんや道元さん、日蓮さんがここから出てくるのです。

言いたいのは、世界の誰一人として無駄な人はいません。大統領になる使命を持って生まれてきた人もいるでしょう。商売をして人々に喜ばれる商人なるために生まれてきた人もいるでしょう。あるいは、掃除夫として、人々に気持ちのよい環境を与えてくれる仕事をする人もいるでしょう。それぞれが人間として、使命を持って生まれて来ているのです。

そのことを自覚して生きていくなら、まさしく世界は、変化し、成長し、進歩するのです。これが宇宙の法則です。ところで来年の目標が見えてきましたか。わくわくしてきましたか。次に、三年後の目標を描きましょう。まずは桃栗三年で、目標設定しましょう。桃栗三年とは、モモやクリは植えてから三年たってから実がなるのです。

2012年12月19日水曜日

新世代の政治家ー修証義Ⅵ-

 おはようございます。
今回の衆議院選挙で、多数の新人議員が当選しましたが、当選者が前回と違うなという印象を受けました。前回は、タレントや言われたからでた人が多かったようですが、今回の当選者を見ると、自民党せよ、日本維新にせよ、みんなの党にせよ、こころざしを持っている人が多いのであります。

九州でも、福岡、大分、佐賀など優秀な新人が当選しました。そのなかでも、神奈川11区から2期目の当選をした小泉進次郎氏に注目しています。彼は青年局長として全国を飛び回り、彼が応援演説をした56選挙区で54人の方が当選しました。もうひとりは、大分1区から当選した穴見陽一氏です。

新世代の政治家が登場してきたなと予感させられます。まず、政治家にせよ、経営者にせよ、こころざしを持っているかが最も重要なのです。次にそのこころざしを実現するために、どのように勉強し、努力しているかという事です。

世襲議員の批判がありますが、たとえば親が経営者で急に亡くなった時、その息子が会社を継がなくてはいけません。しかし、会社を継ぐことを考えて、大学で経営学を専攻し、学んだ人と、なにも考えずに突如、経営を継ぐ人とでは雲泥の差があるのです。経営を継ぐ人は経営学を学んでいなければ間にあいません。世襲議員であろうが、こころざしを持っているかどうかです。政治や行政の勉強をしていない人が立候補するべきではないのです。東京都知事になった猪瀬氏は、作家時代から大変勉強しているし、政治についてノンフィクションで書いています。

管理職にも言えることで、たとえば部長になりたいという目標をもっている人は、日頃から部長の勉強をしておくべきで、辞令が降りてからでは間に合わないのです。これからは中小企業でも、年齢に関係なく、常に勉強し努力している人、その責務を全うできる人を抜擢すべきです。

私が注視しているのは、国のリーダーになる人は、高校や大学でそのための教育を受け、準備していないとなれないという事です。小泉進次郎氏に期待しているのは、彼がコロンビア大学で政治学を勉強しているからです。同時に、リーダーとしての資質を持っているという事です。

そしてリーダーたるものは、道元さんの「修証義」の第三章受戒入位に書いてあります三聚十戒を受けいれ守ることです。現代風に訳してみたいと思います。

第一は、人の道、ほとけの道を守ることを喜び慎め
第二は、善きことを喜び慎め
第三は、人の喜びを己の喜びとし慎め
 
                         
 
1、いのちあるものを殺してならない    国民の命を守ることを第一義としているか
2、他人の物を盗んでならない       国民の財産を盗んでいませんか。
3、みだらなおこないをしてはならない   スキャンダラスなことをしていませんか
4、嘘をいうな                 嘘のマニュフエストをつくるな。
5、酒におぼれるな              アル中で亡くなった国会議員もいる気をつけろ
6、他人のあやまちを責めるな       無益な他党批判をするな
7、自分をほこり、他人を傷つけるな   驕り高ぶるな、自分だけ助かって秘書を見殺しにするな
8、人のために施すことを惜しむな    国民のために尽力せよ
9、怒りに燃えて、自分をみ失うな  自分をコントロールできない人は人の上に立つな  
10、三宝(仏・法・僧)をそしり、不信の念を起こすな  世界には不信仰なリーダーはいない

新人議員の皆さんはこのことを守っていかないと、明日は、わが身になりますよ。政治家は少しくらいダーティでなければ政治はできないという人がいますが、そのような政治家で国が持ったためしはありません。政治家も経営者も精錬潔白でなければ人はついて来ないし、国民はよく見ています。また現職議員で上記のことをできない人は国会議員を辞めてもらいたいと思います。























2012年12月18日火曜日

危機突破内閣ー修証義についてⅤ-

 おはようございます。
自民党の安倍総理は、危機突破内閣と名づけました。しかし、投票率を見ると国民の何割かの人たちは、危機感を持っているのだろうかと疑わしくなります。なぜなら、投票する権利と義務をおこなわないことは、政治の不毛だとか、政治への失望感とか、メディアで評論家諸氏が言いますが、果たしてそうでしょうか。

私達の国の行く末、あるいは具体的な政策(景気回復、東日本の復興、エネルギー政策、福祉など)を決めるのは、国民であることを自覚すべきだと思います。投票率を見ていると、国民は危機感を持っているのだろうかと疑問に思います。今日的病状は、政治への失望ではなく、危機感の喪失ではないでしょうか。

当然、投票率を上げる施策として、インターネットを活用できないかとか、税負担と一緒で、義務の遂行がなければ、罰則を設けるとか、意見を出して改善していかなければなりません。民主主義は、間接民主主義から、直接民主主義的手法である国民投票などの必要性が問われている今日のです。

この危機感の無い、あるいは投げやりな行為をする人達を衆愚と言います。選挙管理委員会は、行かなかった人の理由を調査してはどうでしょうか。たとえば、生活保護手当を受けてる人や、子供手当をもらっている家庭のご夫婦などが、もし投票に行ってないとしたら、由々しき問題ではないでしょうか。

日本の歴史をみると危機的状況は、平安時代から鎌倉時代ではないでしょうか。平清盛から源頼朝の時代、武士の台頭と同時に、いくさや天変地異(地震や津波)そして不作による飢餓で多くの民が死に、今の京都市の河原町あたりには、腐乱した死体が山積みされていたそうです。芥川龍之介の「羅生門」など読むと光景が浮かぶかと思います。元寇が押し寄せて来るのもこの時代です。現代とよく似ていると思いませんか。

似ていないのは、日本は豊かになりすぎて、食べるものはあるし、原子力発電は止めても、電力の供給は行われていますので、何の困っていないのです。危機感とは、あたりまえに給料やボーナスをもらい、遊び呆けている国民には出てこないのです。しかし日本は危機的状況にあるのです。

末法と言われた鎌倉時代、仏教は本当に民を救えるのかと苦しみながらも、その答えをだした人たちが多数出てきます。法然、親鸞、一遍、栄西、道元、日蓮などです。日本仏教の基礎は、危機的状況の中から生まれてきたのです。

今の寺院の僧侶に、10年以上も自殺者が3万人以上を超える日本の民衆を救うことができるのでしょうか。葬式仏教と揶揄され、戒名料などに寺の経済的基盤を依存して、なにも改革をしない僧侶に民衆を救うことはできません。金儲けにうつつを抜かしている宗教家諸氏も危機感が欠如していませんか。

危機感の欠如は、直観力の鈍化なのです。WWFという地球上の動物たちの保護活動の支援をしていますが、動物は本能的に常に、危機感を持ち、それを察知する能力は、人間の何倍も優れています。自然界では、もともと人間にもあったものです。

10年ほど前でしたか、韓国が通貨危機になり、国そのものが立ち行かなくなり、IMFの支援を受けるとともに、国民が一斉にキリスト教徒も仏教とも祈りを捧げ、すべての国民が尽力をつくし、国難を乗り越えたのです。その結果が、サムソンやヒュンダイに代表されるような世界的企業の成長や経済成長にあるし、世界に輸出できるKポップなどの文化も登場してきたのです。

韓国の人たちの祈り方は、今の日本人が見習わなければならないほど、真剣に祈ります。3日や1週間以上の断食祈祷をするのです。道元さんの修証義に、悔い改めて祈るなら仏が現成し、その功徳があり、慈悲に包まれると言っているのです。

NHK大河ドラマ「平清盛」に出ています後白河法皇が、民衆の歌を編纂したのが「梁塵秘抄」ですが、あのドラマの冒頭の

「遊びをせんとや生まれけむ   戯れせんとや生まれけん 
  遊ぶ子供の声聞けば   我が身さえこそゆるがるれ」

も「梁塵秘抄」からです。純真になりますよね。子供を虐待したり、殺したりする時代は、まさに危機なのです。

中野東禅先生が修証義講義の中で教えてくれた歌をご紹介しましょう。

「仏は常にいませども   うつつならぬぞあわれなる
 人の音せぬあかつきに   ほのかに夢に見えたもう」

神仏は、危機感を持ち、真剣に祈り、仕事に生活に頑張っている人々を見捨てることはありません。経営者も従業員もかくあるべきですし、そのような会社は世のため、人のためになるから伸びるのです。我が国の政治家諸氏も愚にもつかない他党批判をやめて、国民とともに一致協力して、この国難を乗り切らなければなりません。国民は見ていますよ。












2012年12月17日月曜日

結果責任ー修証義・懺悔滅罪ー

 おはようございます。
今回の衆議院選挙の結果は、当研究所の予測通りの結果となりました。政治であろうが、商売(経営)であろうが、国民(生活者)が求めていくいるものを提供できなければ、成り立たないということです。国民の半数以上が、景気対策、雇用対策を第一に求めていました。それに答えたのが自民党であったという事です。ですので公約を読み取ると、国民のニーズをとらえている政党が躍進するのが当たり前のことです。

日本人の生活の知恵は、反省し、次にすべき事をやることです。自民党の安倍総裁は、5年前、健康上の理由とはいえ、内閣総理大臣を任期途中で辞めたことを真摯に国民にわびました。民主党の野田さんからは、政権担当者としての反省の弁はほとんどありませんでした。日本人は、反省しない人を許さないのです。これは、日本未来も小沢さんがいなければもっとのばせたかもしれませんね。

反省するときに自己評価を適正に行える能力が必要です。自己評価の対極に他者評価がありますが、ほとんどの人が自己評価の方が甘いのです。だからこそ、厳しく言ってくれる友人(上司や部下)が必要ですし、座禅をして自己を見つめることが必要なのです。静寂のなかに身をひたすとき、内側から真実の声が聞こえてきます。このようにして自己評価、あるいは業績評価をしないと独善的になるのです。

NHKの大河ドラマの「平清盛」を、政治家の皆さんは見ているのでしょうか。「驕る平家 久しからずや」と言って、権力をもった清盛の傲慢さが、平家打倒ののろしを呼び起こし、平家が滅亡していくのです。中小企業の経営者とよくお話しますが、企業経営においても同様で、業績のいいときこそ、おごらずに、社内体制の構築をすべきで、業績が落ちているときこそ、創業の原点にかえり、攻めの経営をすべきだと申し上げているのです。

「平清盛」を見ていると、清盛の家臣(息子を含めて)は、企業でいえば幹部社員が、いつの間にか、酒宴や歌舞にうつつの抜かして、戦(いくさ)も、まつりごともできないほど堕落しているわけです。それに比べ、伊豆に流された源頼朝は、まさにどん底からの出発で挙兵するのです。歴史を見ても、わかるとおり、徳川政権も、政権をとったら、国内の安定のための手をうったからこそ、戦のない時代をつくったのです。

企業経営になぞれば、業績がよくなったら、企業の安定策を打っていくこと、社内体制の構築や社員教育をせずして、その会社が焦って、多角化や多店舗化に踏み出すとしっぺ返しがきます。業績が良きにせよ、悪しきにせよ、一旦立ち止まって、検証(反省)することがもっとも重要なことです。

道元さんは「修証義」の第二章、第七節で、懺悔滅罪を言っています。現代訳は、「悪しき心と行為の結果は、自分の責任だからごまかしようがない。しかし、ほとけに照らして懺悔して謙虚になるとき、身軽になり、罪のこころと愚かさは無我の智慧に包まれて清らかになる」ですが、仏教でもキリスト教でも、悔い改めることを最初に言っています。なにもかも自分の力や智恵でできると思ったら大間違いなのです。

すべては結果は、あなたの現在までのあなたの考え方と行為によってもたらされているわけですから、その責任はあなたが負わなければなりません。結果責任とはそういうことです。政治の話に戻ると、今回、公明党が躍進していますが、母体は創価学会です。創価学会の教えは、法華経から来ていますが、世界的に大変信者数が増えています。とくに注目するのは、アフリカに進出したことです。これは仏教が初めてアフリカに広まったことを意味します。

わたしは、今、東京国際仏教塾で仏教を学んでいますが、キリスト教でも、仏教でも一番大事なことは、自分の力に過信することなく、謙虚になって、生かされている事に感謝し、神仏に祈ることではないでしょうか。わたしはいつも次のように祈っています。

「宇宙をつかさどる大いなる方よ、阪神淡路大震災、東日本大震災、北部九州大水害で、私たちの代わりに亡くなった方を供養してください。また私たち一人一人に、生きていく力をお与えて下さい。そして、ほかの人にために役立つ仕事や行いができるようにお導き下さい。大いなる方に感謝し、祈りを捧げます。」

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とは、世の中は常に変化し、とどまっているものはありません。あなたの生活も仕事も経営も、世の中に変化に合わせることが必要なのです。

2012年12月14日金曜日

新世代の経営者ー修証義についてⅢ-

 おはようございます。
昨日のカンブリア宮殿に、リブセンスを創業した26歳の村上太一社長が出ていましたが、かってのバブル時代のホリエモンをはじめとする、あの当時のベンチャービネスを提唱して出てきたギラギラした経営者とは全く違うタイプの人が出てきたなと感じました。あえていうなら世代は違うが、スティーブジョブスのタイプかもしれませんね。

彼は、中小零細企業が直面している人材の確保を、ユーザーの視点から解決してくれているなと思いました。リブセンスの経営理念は、「生きる意味」=「幸せになること」から「幸せから生まれる幸せ」だそうです。経営資源あるいは外的な、弱みを強みにする。常識的な強み、弱みからのとらわれ、思考を解きはなし、人のためになる経営をやっていくという発想ができるという点でジョブスに似ているなと思いました。ネットで会社HPを見て下さい。

9日の中野東禅先生の修証義講義の続きをお話しましょう。仏教は、非常に論理的な宗教で、あいまいなところがありません。それは今の現実の私たちの姿は、過去の原因によってつくらているからです。それを、因、縁、果で説明してくれるのが仏教です。因果を知らない、ご縁を否定することを「邪見」といいますが、邪見な人が多い世の中です。

修証義第四節で、心と行いのご縁を説き、第五節で、自己に責任を持つことを説いています。原文を書いてもわかりづらいでしょうから、現代訳文から抽出しますと、

「過去の縁を背負い未来に種蒔く現在の重い意味を覚らず、清らかさと汚れとを見分ける心の力を持たない間違った考え方の人々と仲間になってはいけません。根本的に言って、心と行為の理はハッキリとしていてごまかしようがないのです。」

「私自身の善や悪の行いとその影響力は、三つの時間差があります。一番は今の行為にすぐ反応が表れ、二番には行いの影響はしばらくして、あるいは次の時代に表れ、三番にははるか後に、忘れた頃表れます。これを行為の影響の三つの時間差というのです。」

だからこそ、第六節で、かけがいのない人生を選ぶことを説いているのです。

「それゆえに知るべきです。この人生の自分の命はたった一つで、かけがいがないのです。むやみに因果を否定する間違った教えに陥って、虚しく悪しき行為の影響に染まるべきではありません。惜しむべきです。過ちを作りながら、過ちでないと思い上り、汚れた行為の影響力を否定して、よこしまな考え方にこだわり、その間違った行為の影響力にそまるべきではありません。」
初めての「修証義」(四季社)より

わたし達の現実の生活、仕事など照らし合わせながら読むと、其の通りだと思いませんか。このことを知って仕事をする人は、良い結果も悪い結果も起きる前に対処できるのです。謙虚さを失った人たち、反省しない人たち、人のせいにする人たちがなんと多い世の中であろうか。しかし、村上太一社長のような若くして、真理を知って経営する人が出てきたことは、稲盛和夫氏などが仏教思想を根本に教授してきた盛和塾の影響もあるのかもしれません。稲盛和夫氏の活動に感謝を申しあげます。

2012年12月13日木曜日

修証義についてⅡ

 おはようございます。
先日、上野公園に行ったお話をしましたが、昨日のBS日テレで、「日本100巡礼」という番組があっていますが、不忍池や寛永寺、そして上野の山にある清水観音堂が紹介されていました。この清水観音堂でお祈りしたことを申し上げるのを忘れていました。また不忍池の蓮の花は、まさに泥中に咲く花で、私たちも汚れきった俗世で、清らかな花を咲かせたいものです。

東京国際仏教塾の曹洞宗コースでは、中野東禅先生の修証義講義が、8日に引き続きありましたが、朝一で、わざわざ、「禅者山頭火」(四季社)という本を持ってきてくださり、感謝なことでした。以前より種田山頭火の本を読んでみたいとは思っていました。山頭火は放浪の自由詩人で、日田市にも訪れ、豆田町の旅館に泊まったことを書いていますが、彼の心の葛藤を理解するには、私の人生観を合わないし、難しいなと感じていましたので、実はさけていました。

山頭火の詩句の中の、

「分け入っても分け入っても青い山」

を読むと、人生の機微、自己修行は、終わりがないとも読み取れます。

さて修証の意味を、先生は「あなたの仏心が証明されている。日常の行動に本心が証明されている。」と説明してくれました。つまりお釈迦様の八正道の日々の実践(正しく思い、正しく行動する)であると感じた次第です。

また一休さんが骸骨を見て、骸骨は必ず二人でいるそうで、読んだ句が

「けんかしないで くらそうじゃないか 末は互いにこの姿」

で、ご紹介してくれました。修証義の第二節ではかけがえのないいのちとご縁について述べているのです。

「人身得ること難し、仏法値うこと希れなり、今我等宿善を助くるに依りて、己に受け難き人身を受けたるのみに非ず、遭い難き仏法に値い奉れり、生死の中に善生、最勝の生なるべし、勝の善身を徒らにして露命を無常の風に任すること勿れ。」

ほとけの教えの会うことは、不思議であり、またこの世にいのちをいただいているのもまれなことであり、ましてやよき伴侶に恵まれるご縁もなかなかないものであるといえます。一休さんの骸骨の句の意味がわかりますね。結婚しても、相性が合わないの、夫が妻のせいにし、妻が夫のせいにして、辛抱がなくすぐ別れるのは、畜生より劣ることかもしれませんね。人生を無常の風にゆだねて生きてはいけませんと言っているわけです。

そして第三節で、いのちのはかなさを伝えています。私たちのいのちは露のごときもの、いつ道草におちるかもしれず、自分の思い通りにはなりません。過ぎ去った時間は戻らないし、若き日のみずみずしい肌も戻らないのです。はかなさはあっという間にやってきて、政治家も、上司も部下も、妻子も、蓄えた財産もだれも何も助けてくれないのです。そしてあの世についていくのは、心でなした善と悪の行為と習慣だけであると道元さんは言っているのです。いつ死が訪れても、善きことをしたと思って死ねばその人は必ず天国に行くと思うし、こころにわだかまりを持って死ねば地獄に行くのです。そうおもいませんか。



















2012年12月12日水曜日

修証義について

 おはようございます。
東京国際仏教塾での学びは、曹洞宗コースが9日と10日にありましたので、その一端をお話して、入塾して学びをされる方を増やしたいと思っています。今までに約1500名の卒業生が出ていますが、残念ながら大分県は私が最初なのです。交通費がかかることはゆがめませんが、沖縄県から36歳の青年が、働きながらきていますので、決意の問題かもしれません。

講義に入る前に、中野東禅先生より「プチ出家入門」「仏さま白書」の書籍の紹介がありました。在家であろうと、出家であろうと、仏道に入ることの決意は大事なことです。あえて仏道と言ったのは、まさに人生は修行であり、仏の道を歩んでいると思うからです。そう思って人生を全うする人を仏道に入ると解釈しています。

「仏さま白書」はお釈迦様から七福神までわかりやすく書いています。よくキリスト教は、一神教で仏教は、多神教と言われるのをきたことがあると思いますが、一神教はユダヤ教とイスラム教だけです。その図式は下記のとおりです。

      体・悟りの本体     相・姿の仏     用(はたらき)・出会いの働きの仏  衆生

仏教     毘盧遮那仏     お釈迦様      観音様など          人間

キリスト教  ゴット(神)     イエスキリスト    聖霊・天使          人間

このように見ると、仏教とキリスト教は類似しています。私はイエスは、仏教を学んだと思っています。ですから明らかに、旧約聖書と新約聖書の神の異質性を感じるわけです。

いよいよ「修証義」の講義が始まりましたが、これは道元さんの「正法眼蔵」のエキスをまとめたものです。まず第一章の総序で、仏教の基本的立場を書いているのです。第一節に、仏教のねらいを書いています。この文章が最高ですね。


「生を明らめ 死を明らめるは 仏家一大事の因縁なり、 生死の中に仏あれば生死なし、

 
但生死即ち 涅槃と心得て 生死として厭うべきもなく、 涅槃として ねごうべきもなし、

是時  初めて生死を離るる分あり、 唯一大事因縁と究尽すべし。」


私訳すると、「なぜ生きているのか、いのちや死とは何かを学び悟ることに、縁を持ったのはもっとも大事なことである、生き死になかに真理があり、その生き死にをえり好みすることはできない。生き死のなかに、静寂な悟りの場があり、生き死にから逃げ出していけない。かといって人生そのものが悟りではない。生き死にへのこだわりを離れると、善き人生となる。かけがえのないご縁こそもっとも大事ことであり、腹を据えていきたいものである。」ということだと思います。

金儲けの人生、快楽を求める人生、ただただあくせく働く人生、いつも人と比較する人生、妬み羨む人生などなど、さまざまだが、人生も「無常」であることを知らねばならない。人生そのもののなかに真理があるのではなく、真理が先にあって人生を歩むと、自ずとその人生は豊かでいきがいのあるものと変わるのです。だから真理を知って歩む人生が最上の人生であり、人生は悟りへの修行の場であると思うのです。仏道を歩むとはそのようなことではないでしょうか。島倉千代子さんの「人生いろいろ 男もいろいろ」という歌がありましたが、人生は人さまざまです。しかし死は平等にやってきます。死ぬときに自分なりによい生き方をしたと思って静かに死にたいと思ませんか。





















  

2012年12月11日火曜日

般若心経についてⅢ

 おはようございます。
8日の日、ホテルに入ると、地震がきたので、びっくりしました。9日より東京国際仏教塾での曹洞宗コースの第二回の修行が始まりました。中野東禅先生より、お釈迦様が35歳の12月8日に明けの明星を見たときに、悟りを完成されたことをお聞きし、昨日の地震と、私が千葉にいたことは、ひとつの警鐘かなと思いました。自然界の現象も、何らかの因、縁、果、で起きていると思うからです。地球が生きていることは事実だし、地球に仏性があるかと問われれば、私はあると答えます。

9日の修行は、読経に始まり、11月の「般若心経」講義の続きがありました。真理と悟りと迷いについて先生が説明してくれましたので、書きますと、

 真理        悟り       迷い

縁起       気づき、智    妄縁起
無常       無常をさとる   常
無我       無我になる    我
無為       無為になる    有為(煩悩)
空         空になる     有

という事です。私達は、生きていくうえで、こころにひっかかりがあったり、恐怖や不安におののきます。しかし、釈尊は観世音菩薩を通して、空をさとれば、静かな悟りを完成していると言っているのです。現実生活における迷いから解き離れるには、座禅をし、寂静の世界に身をおかなければ、正しい生き方もできないと思います。

ゼンオブスティーブジョブス(集英社)の本を東禅先生がご紹介してくれましたが、世界にアップル社を知らしめた、ジョブスが禅道場に通っていたことを知りました。只今、選挙中ですが、自民党の安倍さんや石破さんも、中曽根元首相より紹介されて禅道場に毎月一回は行っているそうです。一般の方のみならず、多忙な経営者や政治家こそ、禅道場で、「般若心経のこころ」をつかむべきでと思います。

般若心経の最終節は、「呪」の言葉ですが、「呪」とは祈りなのです。般若波羅蜜多は、とらわれないき智慧であり、偉大な神通力を持った祈りの言葉なのです。毎朝、般若心経を声を出して読むことは、祈りを宇宙の根源に捧げているのです。生かされていることに感謝し、人々のために祈るのです。

ですので、一宗一派にとらわれることなく、般若心経の祈りをささげることが大事だと思います。迷っている、悩んでいる方は、 小生が、「よろず相談室」を開室していますので、遠慮なくお問い合わせ下さい。

     

2012年12月10日月曜日

東京国立博物館

 おはようございます。
選挙のために、お世話になった人に会えず、急遽、上野公園・東京国立博物館に行ってきました。人手が多くさすが東京ですよね。上野公園に来たら、西郷どんに逢わねければ思い、銅像を探しましたが、JRの上野駅側からは結構な距離があり、少し疲労気味でしたが、西郷どんの銅像を見たら、元気がでてきました。

西郷隆盛像

以前ブログで書きましたが、西郷隆盛どんの「敬天愛人」の思想の基が、日田市の漢学者広瀬淡窓さんから、平野五岳さんへ伝わり、西郷隆盛どんへと感応道交し、京セラ名誉会長の稲盛和夫氏が引き継ぎ、盛和塾塾生に教えられているのは、まさに「縁起」ですね。

東京国立博物館で見たかったのは、世界最古の「般若心経」の梵語(サンスクリット語)で、貝葉に書かれたものが法隆寺から博物館に所蔵されているのであるが、公開されていなかったので残念でした。法隆寺の仏像(観世音菩薩など聖堂約30㎝大)など多数みれて感謝でした。仏像をこの大きさにしたのは持ち運べるようにしたのでしょう。(館内の写真撮影ができませんでした。)

東京国立博物館本館と法隆寺宝物館

 
 

 
 
 
上野公園や博物館を散策すると、樹木が多いので、それぞれの季節を楽しめるなと思いました。それでは銀杏が印象的でしたので、ご覧になってください。
 
東京国立博物館の庭の銀杏
 

 

2012年12月6日木曜日

成功哲学ーブッダの教えⅨー

 
 おはようございます。
師走のなると、気持ちが引き締まると思いませんか。今年のやり残した仕事をしておきたい。来年の目標がちらついてくる。そういう意味でも一年ごとに節目があるのは、いいですね。日田市三隈公園も秋から冬へと様相が変わりつつあります。

三隈公園にて


さて、本日でわらしべ長者の息子、シンガーラへの教えは、最終回です。

青年 「昨日は帰り、妻に、先生の教えを話しました。夫婦、力を合わせ、家族を守っていきたいと思います。」

釈尊 「シンガーラよ、お前が守るべきものは、家族だけではないぞ。お前の会社の従業員を大切にし守っていかなければならない。それが下方を拝むことじゃ。」

青年 「従業員にどのように接するればよいのでしょうか。」

釈尊 「まずは従業員の力量に応じて、仕事を与えることじゃ。そして、それに応じて給料と食事を与えること、次に病気の時は見舞いに行きなさい。あなたが旅行に行ったら土産を買ってきてあげない。最後に休みもきちんと与えることじゃ。」

青年 「従業員への接し方を改めます。」

釈尊 「そうすると従業員は、おまえや上司に、尊敬の念を持って、仕えてくれる。従業員の心構えは、朝早く起きることじゃ、夜は遅くまで遊んだりしないで、早く寝ることじゃ。自分の給料で生計をたてるように賢くなることじゃ、そして良い仕事ができるように励み、経営者や上司の良いところを人に言う社員になることじゃ。」

青年 「たいへん、ありがとうございます。従業員をそのように教育し、導いていきます。先生、上方を拝むとはどのような意味でしょうか。」

釈尊 「上方とは、宗教者(菩薩)や神仏のことであるが、まずは宗教者には、親切に接し、丁寧な言葉遣いをし、親切なこころで、家に来たら喜んで迎えいれなさい、そしてコーヒーなど出して差し上げるのじゃ。そのように接すれば、菩薩は、悪の心を気づかせ、善き生き方を気づかせ、大きなこころで包み込んでくれる。そして生き方と心のあり方について、真実(真理)を教えてくれるし、さらに理解を深めさせてくれ、おまえがあの世に行くときは、安らかにいけるように導いてくれる。このように人々から奉仕され、人々のために尽くす宗教者が真の菩薩であり、慈しみの心で人々を包み込み、上方は守れるのじゃ。」

青年 「先生、ほんとうにほうとうにありがとうございます。父が釈尊先生に会えるようにしてくれたのでしょう。毎日、六方を礼拝し、商売繁盛、家内安全に努めていき、世の中のためになるように精進していきます。」

中野東禅先生の「ブッダの肉声に生き方を問う」(小学館新書)より、超口語訳しましたが、おわかりいただけたでしょうか。明日から東京国際仏教塾に行って、中野東禅先生からご教授をいただいてきます。上記の本は、書店で好評発売中ですので、お買い求め下さい。わずか720円ですよ。

ところで、「温禅先生のよろず相談室」がたいへん好評です。お悩みの方、迷っている方は遠慮なくご連絡下さい。携帯は、090-9493-7088(10時~18時)、メールは、beppu1717@mint.ocn.ne.jp(24時間)です。ご連絡後、相談日時を決めます。





















2012年12月5日水曜日

成功哲学ーブッダの教えⅧ-

 おはようございます。
好評のわらしべ長者の息子シンガーラへのブッダのお話の続きを早速しましょう。

青年 「先生、昨日はありがとうございました。先生からお聞きしたことはすべて紙に書いて、何度も読み返しています。」

釈尊 「シンガーラよ、よい心がけじゃ。昨日の続きを話そう。」

青年 「先生、お願いします。」

釈尊 「そうじゃな。西方を拝むとは、夫と妻とが感謝し合い、助け合うことじゃ。夫は次の五つの仕方で妻を大切にするのじゃ。まず、妻をこころから愛し、敬うことじゃ。次に妻を軽んじてはならぬ。そして妻を裏切るような浮気などはせぬことじゃ。四つ目は、妻に家計を任せることじゃ。五つ目は、妻の誕生日などに記念のものを買ってあげることじゃ。」

青年 「わかりました。そのようにします。妻は夫にどうするのでしょうか。」

釈尊 「妻は、夫のために食事を作ってあげ、家族を支えるのじゃ。次に隣保班など上手にお付き合いをすることじゃ。三つ目は、決して不倫などの過ちを犯さないこと。そして、財産をしっかり守っていくことじゃ。最後に、自分のなすべき役割を理解し、夫を支えてあげなさい。このように、夫と妻が感謝しあい、助け合うなら、家庭は守られ、家族はとわに栄えるであろう。」

青年 「帰って、妻に話し、悔い改めて妻を大事にし、家族の守っていきます。」

釈尊 「シンガーラよ。今日は、北方を拝む意味も話しておこう。」

釈尊 「北方を拝むのは、友人を大切にし、お互いに支え合うことじゃ。次の五つの仕方で交友するにじゃ。①布施、②愛語、③利行、④同事、⑤嘘をつかない、ことでじゃ。

親友が、苦境に陥っているときは守ってあげなさい。次に友達の財産を守ってあげなさい。三つ目は、おまえが頼りがいのある人になることじゃ。四つ目は、友達が災難にあったら、見捨てず真っ先に手を差し伸べてあげることじゃ。最後に友達の子供さんやお孫さんもお前の家族にするように可愛がってあげることじゃ。そうすれば、お互いに支え合い、北方は守られる。」

「シンガーラよ、親友と言ったが、友人には二通りの者がいる。偽物と本物じゃ。
偽物の友達とは、まず、もってゆくばかり者である。はじめは少しだが、たくさん借りるようになる。損得で交際する奴じゃ。次に口ばっかりで、助けあうことはない。三つ目は、面前では言葉をあわせ、裏では友達をけなし、愚にもつかない奴じゃ。そして、夜遅くまで、スナックやキャバクラに出入り、いつまでも酒を飲み、浮気をし、賭け事に夢中になり、そのような仲間と付き合っている奴じゃ。
そのようなものは、友人ではない。お前も巻き込まれるな。」

青年 「昔は、そのような付き合いをしましたが、今は遊んでいません。」

釈尊 「シンガーラよ、よく聞きなさい。お前に、本当に必要な友達とは、次のような人を言うのじゃ。おまえのことをいつも心配し、守ってくれる友達を親友というのじゃ。つぎに、苦楽を共にできる者じゃ、大事な相談ができ、そのことを人に言わないし、お前が災難にあえば、手助けしてくれ、友のために自己犠牲もいとわぬものじゃ。

三つ目は、いつもためになるとを話してくれる人じゃ。悪いことは悪いと言い、善い方へ導き、本当のことを言ってくれ、そして、安らかなる精神世界を語りあえる人が、本当の親友じゃ。

四つめは、慈しみの心をもった者じゃ。友を気づかい、友がいることをいつも喜び、友が人を批判するときはやめさせ、友が人をほめるときは、よろこんでくれる人じゃ。

シンガーラよ。お前が真の友を得ることは、おまえにとっても友人にとっても最高の財産であり、お互いに成功者となるであろう。今日はここまでじゃ。」

青年 「先生、ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございます。目が覚めました。私自身が真の友になるように精進します。」

中野東禅先生の「ブッタの肉声に生き方を問う」(小学館新書)から勝手に引用に、口語訳させていただきました。中野東禅先生に感謝を申し上げます。





























2012年12月4日火曜日

成功哲学ーブッダの教えⅦ-

 おはようございます。
今年も残すところ、一ヶ月を切りましたね。今年立てた目標の検証をしてみましょう。そうすると来年の目標が見えてきますよ。

わらしべ長者の話を知っていますか。一本のわらから人のためにすることで運が開けていく昔話です。わらしべ長者が、商売で成功し、息子に家督を譲ったと勝手に話を進めると、わらしべ長者の息子が、シンガーラ青年として、昨日の話の続きをしましょう。

釈尊 「シンガーラ青年よ、東・南・西・北・下・上の六方向を守り、六方向から守られるとはどういうことかわかるかな。東の方を礼拝するとは、両親、父母に対してするのじゃ。」

青年 「小さいころから父母を尊敬しています。」

釈尊 「東方を拝むとは、親を敬い、子を愛することでじゃ。それには五っつの仕方で親を敬いなさい。一つは産み育ててもらったのだから父母の老後を見守ってあげなさい。二つ目は、必要に応じて子のなすべきことを親にしてあげなさい。三つ目は、家庭を守りなさい。四つめは、父母からの財産と家訓を正しく相続しなさい。五つ目は、お父さんお母さんが亡くなったら、貧しい人たちに施しをし、其の徳を故人への手向けとしなさい。そしてあの世を飾ってあげるのじゃ。」

青年 「先生、よくわかりました。子供に対してはどのうようにすればよいのでしょうか。」

釈尊 「親は、五つの仕方で、子供を愛しなさい。一つ目は子供が悪へ向かうのを止めなさい。二つ目は、善を教え、導きなさい。三つ目は、学問の機会を与え、知識や教養を身につけさせなさい。四つ目は、いい時期に結婚させなさい。そして五つ目は、ちょうど良い時期に子供に家督を譲り、相続させることじゃ。お前がわらしべ長者からしてもらったように子供に任せるのじゃ。」

釈尊 「このように親と子が敬愛しあう家族は、孫子の代、いや、とわに家は栄えることができるのじゃ。わかったかな。」

中野東禅先生の「ブッダの肉声に生き方を問う」(小学館新書)から引用し、口語訳しました。
まず、すべての中心は、親子関係ではないでしょうか。子供を育てて行くときに、親のあるべき姿をみせ、行動し、子供に親を敬うことを教え、子供を愛情を持って接し、育てればかならず、立派な大人になり、世の中のために尽くす人となることができるでしょう。

人間界のみならず、自然界のおける動物たちもそのようにしているのです。日田市には九州最大の河川である筑後川上流の三隈川があります。冬が近づくと、何百羽もの鴨たちがおとづれています。ここで子供を産み、その子供たちが、父母の愛で育ち、また来年の冬も訪れるのです。

三隈川の鴨の風景



それでは、話を続きをしましょう。

青年 「南の方を拝むのはどの様な意味でしょうか。」

釈尊 「それは、先生を尊敬し、生徒を尊重することじゃ。」

釈尊 「生徒は、五ッつの仕方で先生に接するのじゃ。先生が来たら立ってお迎えしなさい。次に、先生と食事をするときは、生徒がお給仕をするのじゃ。三つ目は、先生を尊敬し、信頼して従いなさい。四つ目は、必要に応じて先生のお世話をしなさい。最後に謹んで学びなさい。」

青年 「よくわかりました。もし私が先生になったらどう生徒に接するべきでしょうか。」

釈尊 「先生は、次の五つの仕方で生徒に教えるのじゃ。まずは、人間としての教養を教えなさい。次に、自分が学んだことをきちんと教えなさい。三つ目は、生徒から質問されたら、わかるまで正しく教えなさい。四つ目は、よい先生を紹介してあげなさい。最後に、勉強のみならず、生活面に至るまで、生徒を指導し、保護してあげなさい。シンガーラよ、続きは明日、話してあげよう。」

青年 「先生、ありがとうございます。」

釈尊は、親子の関係、先生と生徒の関係を二千五百年前に解き明かしていたのです。この意味を理解して、親や先生が、東を礼拝し、南を礼拝するようになったら、いじめなどおきないし、すぐに解決されるのではないでしょうか。現代社会はこのような考え方や行為が欠落しているところに悲劇が生まれているのです。まずは、あなたから始めてください。

「温禅先生のよろず相談室」を開設していますので、メール(24時間)か携帯(10時から18時まで対応)に問い合わせてください。
Email:beppu1717@mint.ocn.ne.jp
携 帯:090-9493-7088





















2012年12月3日月曜日

成功哲学ーブッダの教えⅥー

 おはようございます。
さあ、新しい1週間が始まりました。怒らず、怖れず、悲しまず、元気はつらつ、素晴らしい1週間にしましょう。今日から、仏陀が青年商人に語った「シンガーラへの教え」をご紹介していきます。今でいえば、商工会議所青年部や青年会議所に入っている2代目、3代目の青年実業家であるシンダーラに、財産を失わない生き方を語ったもので、それは財産を増やすことも意味しているわけです。漢訳では「六方礼教」と言いますが、いよいよ仏陀が具体的に成功哲学と方法を語っています。

中村 元先生の仏典を読む2「真理のことば」(岩波書店)と中野東禅先生の「ブッタの肉声に生き方を問う」(小学館新書)に書かれていますが、これを、超口語訳にしてお伝えします。

ブッダが托鉢をしていましたら、いつも沐浴をし、身を清め、東・南・西・北・下・上の六方向に礼拝するシンガーラ青年がいました。ブッダである釈尊が、

釈尊 「なぜ、そのような礼拝をしているのじゃ」

青年 「親父の遺言で、六方向に礼拝すれば商売繁盛するので、お前も続けるように言われたからです。」

釈尊 「なぜ六方向に礼拝するのかわかっているのかな」

青年 「意味はわかりません。親父から言われたとおりにしているだけです。」

釈尊 「意味がわからずに礼拝しても、ご利益は得られませんよ。意味を知って礼拝すべきでしょう。私が教えてしんぜよう。」

青年 「ぜひ、教えてください」

釈尊 「清廉潔白であることが大事じゃ、しかし人は汚れているのじゃ。自分のエゴのために人を殺したり、人のものを盗んだり、女をみればすぐ手をだし、みだらな関係をもつ、嘘をいうなどかぞえあげればきりがないくらい人の心は汚れているじゃ。」

釈尊 「しかし、欲望による行動をしないこと、怒りによる行動をしないこと、愚かさによる行動をしないこと、恐怖による行動をしないように、おのがこころを見守ることじゃ。」

釈尊 「お前が悪から離れ、六方向を守り、まもらているなら、お前は、過去・現在・未来にわたって勝利者となり、成功者になる。この世でもあの世でもじゃ。」

青年 「先生、わかりました。それでは六つの方向はどのような意味なのでしょうか。

釈尊 「東は、お前の両親である。南は、人生の師匠じゃ。そして西は、お前の奥さんじゃ。北は大事な友人じゃ。下は、会社で働く従業員じゃ。上は、神仏や菩薩じゃ。六つの方向に礼拝すれば、お前は商売繁盛し、家は栄え、お前は立派なあるじになることができるのじゃ。」

青年 「そのような意味があるとは知りませんでした。先生、もっと教えて下さい。」

釈尊 「お前は今のままでは財産を失くす。それは財産を失くす六つの蛇口を知らないからじゃ。逆にいえば、財産を増やす方法でもある。聞きたいか。」

青年 「ぜひ、聞かせてください。」

釈尊 「本当に聞きたいのじゃな・・・・・。まず第一の蛇口じゃ、お前が酒におぼれれば、財産はなくなる。酒を飲んで、喧嘩をし、ものや人を傷つけ、弁償せねばならぬ。飲みすぎれば、肝炎などの病気になる。そして世間でお前のことが噂になる。お前は恥知らずで、智恵の力を弱めて、キャバクラの女に手をだし、みつぐくんになってしまう。

第二の蛇口は、お前が夜中に、町をうろつくようになると財産を失うのじゃ。自分も守れず、妻子も守れず、事件に巻き込まれたり、じきに昼間と夜が逆転して、仕事に集中できず、心配性となり、お前の心は苦しみに陥るのじゃ。

第三の蛇口は、おまえはカラオケやダンスにのぼせたり、遊興に夢中になると財産は減っていくのじゃ。どこで踊ろうか、歌おうか、またコンサートにのぼせ、恰好ばかり気にし、ファッションにのぼせ、金を使う。仕事はおろそかになり、種をまく時期を逃してしまって商売は不人気になるのじゃ。

第四の蛇口は、賭け事じゃ。賭け事にのぼせるものは、婚期を逃し、また結婚していても、妻子を養うなうことはできない。そのうち、サラ金に手をだし、自己破産したり、犯罪に手を染めてたりする。

第五の蛇口は、悪友と交わることじゃ。ばくち打ち、浮気者、酒飲み、うそつき、欺瞞者や残忍者じゃ。お前もその仲間になる。

第六の蛇口は、怠けものじゃ。 冬が来ると寒いと言って営業に出ない。おそいと言って夜の営業にいかない。早いといってこれまた行かない。昼飯をくえば、昼寝している。言い訳ばかりじゃ。そう言って仕事をしない者は、繁盛しないし、お客さんからあきれられ、富を得られず、どんどん財産は減っていく。ということじゃ。おわかりかな。今日はこのくらいにしておこう。続きは明日じゃ。」

青年 「先生、たいへんよくわかりました。ありがとうございます。」

訳書にそって、皆さんにわかりやすく、現代風に書いてみました。どうですか当てはまることがあるなら、是正しましょう。六つの財産を失う蛇口の習慣で悩んでいる人は、「温禅先生のよろず相談室」を開設しているので、メール(24時間)か携帯(10時から18時まで対応)に問い合わせてください。
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