2013年12月19日木曜日

島倉千代子さんの「からたちの小径」を聴いて

 おはようございます。
注文していた島倉千代子さんの「からたちの小径」のCDがやっと届きました。早速開いて聴いて見ると、その歌声は澄み切っていて、冬の陽ざしのなかに吸いこまれていくような気がしました。葬儀の時に流れた島倉さんのメッセージを思い出しました。

「私の部屋の中にスタジオができて、それで私はできる限りの声で歌いました。自分の人生最後に、もう一度みられないこの風景を見させていただきながら歌を入れられるって、こんな幸せはありませんでした。人生の最後に素晴らしい、素晴らしい時間をありがとうございました。」


歌詞は、喜多條忠さんと南こうせつさん、作曲は南こうせつさんですが、大分県が誇る南こうせつさんが、この「からたちの小径」を作られたのは、ご自宅がある国東半島は、杵築みかんの産地で、からたちは蜜柑の花ですから、たしかに小径があり、イメージしたかもしれませんね。

著作権の問題があるので歌詞は書けませんが、このフレーズに涙が出てきます。

「・・・・
帰らない日々を くやみはしないけど 
人生は流れゆく 旅景色 
たった一度の ときめきの香りが 
夢見るように 淋しそうについてくる
・・・・」

素晴らしい詩ですね。皆さん、島倉さんご供養の香典代わりにCDを買って聞いてくださいね(1260円です。)おそらく「からたち日記」の最終章かも知れません。それと、島倉さんのレクイエムー鎮魂歌ですね。

お葬儀で、評論家の田勢康弘さんが、石川さゆりさんに続いて弔辞を述べたのですが、

「島倉千代子さん、あなたの前に立っているのは60年近く前、浅草マルベル堂であなたのプロマイド写真を貯めた小遣いで買い集めていた少年です。大好きだった「かるかやの丘」や「海鳴りが聞こえる町」を何度も聞きながら泣いていた少年です。昭和35年大晦日、NНK紅白歌合戦で、島倉さんは初めて大トリを取り「他国の雨」を歌われました。会場の東京宝塚劇場の隅にいた私は感激し、自分の人生でこれ以上の幸せはもう来ないだろうと思ったものでした。あなたにとって歌は命そのものでした。私たちファンにとってはあなたの歌声、あなたの存在そのものが生きがいでした。錦糸町にあった江東劇場の楽屋で初めてお目にかかったとき、私は詰襟の高校1年生でした。あれから半世紀以上がすぎ、私は「島倉千代子という人生」を書き、いまここにいます。島倉さんの人生の3分の2を見守ってきた人間として、申し上げます。さまざまな苦難にあいながら、よくここまで頑張りました。私を「ヤス」と呼んでいた島倉さんの「ヤス、うれしい」と、はにかむ顔が見えます。声が聞こえます。やがて私たちファンもそちらへまいります。みんなそろったら今までのように赤と青のペンライトを大きく振って「人生いろいろ」を歌いましょう。それまでお別れです。島倉千代子さん、さようなら、そしてありがとうございました。 」(「週刊ニュース新書」より)

島倉千代子さん、最後の最期まで、やさしいこころをいやす歌声、ありがとうございました。


ところで北原白秋さんが「からたちの花」を作詞したのですが、知っていますか。

「からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。

からたちのとげはいたいよ。
靑い靑い針のとげだよ。

からたちは畑の垣根よ。
いつもいつもとほる道だよ。

からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。

からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかつたよ。

からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。」

それでは、島倉千代子さんのご冥福を心より祈りつつ・・・南~無 合掌 徳温禅月。



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