2014年6月11日水曜日

「仏教聖典」を読む~誤った人生観~

 おはようございます。
罪の原因をみずからの境遇や運命だと自己弁護する者がいますが、貧しいから泥棒をしたとか、むしゃくしゃした、ふと思いついた、だから痴漢した、強姦したとか、そのような言い訳が許されるはずがありません。貧しくても、一所懸命に働いて子どもたちを立派に育てあげた方はたくさんおられます。自分の感情をおさえ、自らを律して生きている方も五萬といます。

お釈迦様は、誤っ人生観を持ってる方がいることを指摘しています。

「この世の中には三つの誤った見方がある。もしこれらの見方に従ってゆくと、この世のすべてのことが否定されることになる。

一つには、ある人は、人間がこの世で経験するどのようなことも、すべて運命であると主張する。二つには、ある人は、すべて神のみ業であるという。三つには、またある人は、すべて因も縁もないものであるという。・・・・・」


運命であろうはずがない。幸福になることも不幸になることも運命で定められているなら、生きている価値すらなくなってしまいます。仮に運命なるものがあってもそれは努力で変えられるものです。だからどんな人も成長できるのです。

神のみ業のせいにしたり、また悪霊のせいにしたりする方もいますが、神は自ら助ける者を助けてくださるのです。努力もしないものに、神は手助けなどしてはくれません。また悪い時は、悪霊のせいにする人もいますが、悪霊を呼び寄せるのは実はその人なのです。確固たる自分を持つことです。信仰はそういう方に働くのです。

結果には原因があり、すべて縁起でものごとが起こっている天地宇宙の原理原則を知らなければ豊かな人生を送ることはできません。幸も不幸もすべて原因と結果の法則にあるのです。

「だから、この三つの見方はみな誤っている。どんなことも縁によって生じ、縁によって滅びるものである。」ー「仏教聖典」(仏教伝道協会)P47~-

わたしは、あらゆる世界の成功哲学を読んできましたが、釈尊の教えほど理にかなったものはありません。つまらぬセミナーに出る暇があったら、この仏教聖典を毎日読みませんか。必ず成功します。成功とは豊かな人生を送ることです。


それでは皆様の人生が豊かでありますようにお祈りします。南無釈迦牟尼仏 合掌 徳温禅月。







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