2014年6月3日火曜日

「仏教聖典」を読む~最後の教え4終活~

 おはようございます。
お釈迦様は、最期が近づいてきたとき、教えを弟子たちに語りかけたのです。

「弟子だちよ、わたしの終わりはすでに近い。・・・・・
世は無常であり、生まれて死なない者はない。わたしの身が朽ちた車のようにこわれるのも、この無常の道理を身をもって示すのである。
・・・・
煩悩の賊は常におまえたちのすきをうかがって倒そうとしている。もしおまえたちの部屋に毒蛇が住んでいるなら、その毒蛇を追い出さない限り、落ちついてその部屋で眠ることはできないであろう。

煩悩の賊はおわなければならない。煩悩の蛇はださなければならない。おまえたちは慎んでその心を守るがよい。」-仏教聖典(仏教伝道協会)-

わたしは、自らの終活と、終活支援活動をしていますが、生と死、そして生老病死に向かいあうことが終活の第一歩だと思っています。宗教とは何かと言ったら、書いて字のごとく、おおもとの教えであります。

釈尊が悟った法(天地の原則)は実に真理であり、その法を知ることが生きていくことではないでしょうか。ある牧師先生が、もし金魚鉢のなかの金魚が自由になりたいと言って、金魚鉢からはね出たら、間違いなく死ぬでしょうとお話していましたが、その通りです。

金魚鉢とは、真理あるいは法ですね。法を知らずに生きているなら、その人は煩悩の虜になって身を滅ぼすのです。

ある公民館で、終活を「いとまごい」事業として取り組んでいるところがあります。いとまごいとは暇をくださいと申し出ることですが、死を意識して、煩悩の生活から脱却して、自分を見つめていくことですね。素晴らしい活動だと思います。

わたしもあなたもいつか、煩悩にほんろうされることなく、静かに永遠の眠りにつくことができるのです。それまでにしたいこと、すべきこと、善きことを悔いがないようにしておこうではありませんか。

それでは皆様の人生が実り多いものでありますようにお祈りします。南無釈迦牟尼仏 合掌 徳温禅月。





0 件のコメント:

コメントを投稿