2014年6月18日水曜日

「仏教聖典」を読む~かたよった生活~

 おはようございます。
生活索引では、「かたよった生活」となっていますが、本文は第4節「かたよらない道」の前文に書いていることです。

「道を修めるものとして、避けなければならない二つの偏った生活がある。その一は、欲に負けて、欲にふける卑しい生活であり、その二は、いたずらに自分の心身を責めさいなむ苦行の生活である。」~「仏教聖典」(仏教伝道協会)P60-6行~

30年ほど前、尊敬する先輩が、しみじみとこういった言葉を思い出しました。「人間は好きで亡びるんだよ。酒好き酒で亡び、女好きは女で亡び、仕事好きは仕事で亡びる。火の車、おのがつくりておのが乗りゆく。」

好きと言うよりは「欲」で亡びるんですよね。ASKAが覚醒剤に手をだしたのも、所詮、快楽と言う欲望、言い訳として創作活動に集中できるからなどと言っていますが、そんなものに手を出さなくても素晴らしい活動をされているアーチストが圧倒的に多いのです。ましてや女が絡むと事態はもっと深刻になります。


現代社会は、拝金教もしくはお金教に洗脳され、マインドコントロールされてるのです。これについては、苫米地英人さんが「宗教の秘密」で詳しく書いていますのでご一読してください。この本は、世界の宗教をよく言い当てています。

たとえば、株価があがると株を買ってない人でも口にする、それもエコノミストやアナリストという人の発言をそのまま、うのみにして人に言う、実はメディアからのコントロールされているんです。そして民衆は耳をそばだてる。儲かるという欲望が動くわけです。そしてほとんどの人が損をし、一握りの人達が、儲かる。

欲望を仏教では煩悩とも言いますが、食欲、性欲、所有欲、名誉欲など際限なく欲望に翻弄されているんではないでしょうか。美食と言って、どこまでもおいしいものを求めて食べにいく、いい女、いい男がいると、既婚者であることも忘れて誘惑する。あぁ果しない欲望の虜たちよ。

二つめに書いている「自分の心身を責めさいなむ苦行の生活」と書いていますが、現代の日本人あるいは宗教人でこのような人は少数ですよね。「易行」とことばに毒されて何の修行もしない僧侶が多々いることは現実で、東南アジアでは日本人の僧侶は僧侶として認めていないのです。

自分の心身を責めさいなむという行為によって鬱病になるかたが多いのも事実です。しかし釈尊は答えを述べています。

「この二つの偏った生活を離れて、心眼を開き、智慧を進め、さとりに導く中道の生活がある。この中道の生活とは何であるか。正しい見方、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい記憶、正しい心の統一、この八つの正しい道である。」

まずは、仏教聖典を読むことだと思います。そしてこの国際社会のなかで偏らない思考をもつために「聖書」も読んでください。また浄土真宗の人も、座禅をしてください。禅宗の人は、念仏もあげてください。また、ひとりのベストセラー作家にのぼせるのではく、井沢元彦さんや苫米地英人さんなどの本も幅広く読んで見てはどうでしょうか。中道とは、そのような行為から始まるのではないでしょうか。

それでは皆様が偏った生活をしないようにお祈りします。南無釈迦牟尼仏 合掌礼拝 徳温禅月。






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