2014年6月16日月曜日

井沢元彦さんの講演の聴いて

 おはようございます。
14日に大分県日田市の日田ロータリークラブの50周年記念式典があり、記念講演で作家の井沢元彦さんが「歴史から見た日本人の危機意識」と題してお話をされました。私は、この講演のタイトルを「『言霊』~歴史から見た日本人の危機意識~」にした方が良かったのではないかと思いました。


井沢さんの20数年前から、持論である日本人の言霊思想が、危機意識を阻害しているということを書いていますが、何より、井沢さんが世界の宗教を勉強してきていることは敬服すべきだとかねてよりおもっていて、井沢さんのお話が聴けるのは幸いなことでした。

井沢さんの著書である「言霊」、「逆説の日本史」そして「井沢元彦の世界宗教講座」などを読んだ方は、講演を聴いていてすらすらと頭の中に入っていったと思います。まあ、初心者の方も楽しく、聞けて良かったと思う次第です。

井沢さんは、日本古来から続く言霊思想が、日本人の意識や言動を縛っていると言っているのですが、「言霊」とは一体何でしょうか。

ウキペディアには次のように書いています。
言霊(ことだま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。清音の言霊(ことたま)は、森羅万象がそれによって成り立っているとされる五十音のコトタマの法則のこと。その法則についての学問を言霊学という。
声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。『万葉集』(『萬葉集』)に「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」(「志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具」 - 柿本人麻呂 3254)「…そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり…」(「…虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理…」 - 山上憶良 894)との歌がある。
これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことによるものである。漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられており、例えば事代主神が『古事記』では「言代主神」と書かれている箇所がある。
自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられた。例えば『古事記』において倭建命伊吹山に登ったとき山の神の化身に出会ったが、倭建命はこれは神の使いだから帰りに退治しようと言挙げした。それが命の慢心によるものであったため、命は神の祟りに遭い亡くなってしまった。すなわち、言霊思想は、万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想というだけではなく、心の存り様をも示すものであった。

井沢さんは上記の概念をよく理解されたうえに、現実の日本の歴史が言霊思想に影響されていたことをお話したのですが、言葉というのは非常に重要で、前向き、積極的なことを言っていると良い結果が、後ろ向き、消極的なことを口にしていると悪いことが起きるとよく言われます。


それは一言言ったからでなく、繰り返し言うと潜在意識の奥深くにある万物につながる共有意識に入り、連鎖していくから、口にしたことが実現されていくわけです。私はそのことと「言霊」は違うと思っています。

ウキペディアに、言葉に宿る霊的な力、「言魂」とも言うと書いてある通りですが、神の言葉に霊力があると思っています。つまり神の御言葉とか、仏の御言葉とか言うのですが、神道でいう祝詞や、仏教でいう真言・陀羅尼、キリスト教ではヨハネの福音書でいう「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」と同一のことです。

我々凡人の言葉は、たわいのないものですが、古来から続く、神道の祝詞や仏教の真言・陀羅尼には霊力があることを知っておかなければなりません。なぜなら霊の領域は、4次元であり、人間は3次元の存在ですから、4次元に包摂され、影響を受けているのです。

「般若心経」はそのことを言っているのです。「空」とは霊の世界であり、4次元の世界であり神仏の世界なのです。尊敬するお坊さんたちもたくさんいますが、なまくら坊主たちはそのことすら理解していないのが現実ではないでしょうか。

日本のお坊さん達が肉的生活を送って居る限り、精神の荒廃に歯止めはかからないと思います。戒律など守れるかと言っていると、必ず罰があたると庶民は思っています。酒を飲まない、妻をめとらない、私欲をもたないということができないならお坊さんをやめて(還俗)、したらどうでしょうか。

まあお話が脱線しましたが、井沢元彦先生の著書を、再度読み返したくなった講演会でした。ご企画しただいた日田ロータリークラブの皆様に御礼を申しあげます。

それでは皆様に豊かな恵みと健康がもたらされますようにお祈りいたします。南~無 合掌 礼拝 徳温禅月。





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