2014年10月1日水曜日

すべてに時がある


 神無月(かんなづき)、こころの奥深くにはいると声が聞こえてきた

「天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。

生るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、

殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、

泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、

石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、

捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、

裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、

愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。」~聖書 伝道者の書3(口語訳)~


生まれるのに時があり、死ぬのに時があるのです。すべて時に適って美しい。知識を求め、智慧を求めて者には、大いなるものが時にかなって、与えてくれます。

死ぬるまでにすべてを知り尽くすことができません。肉体と精神の終焉のときまで、悟りの智慧を求めているものは、謙虚で、傲慢になることがなく、常に心は平安であるのです。

こころの奥深くでの感応道交は、からだのための日常の食物と同様に必要なことです。よき食べ物は体を健康にし、良き書物は心を強くし、大いなるものとの感応道交は魂を喜ばす。

日常の忙しさに翻弄されてはなりません。一人きりになって、静かに体を休ませ、深く呼吸をし、こころのなかに入りましょう。そうすれば解決の糸口が、すべて与えられます。

こころに平安がありますようにお祈りします。南~無 合掌礼拝 徳温禅月。





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