昨日、国の有形文化財に築100年になる井上家住宅滴翠園(大分県日田市鶴ケ内)を見にいきましたが、日本の木造建築は、持続可能なものであり、その技術は後世に引き継いでいかなければなりません。まさに温故知新のこころがあるように思いました。
さて、中野東禅先生監修の「図解 早わかり!道元と曹洞宗」を読んで、第一章から読後感想を書いて、皆さんと一緒に勉強できたらと思っています。
お釈迦様も道元さんも出家して仏道修行をすることを奨めたわけですが、現代社会でそれができるかというとはなはな難しいと思うのです。なぜ出家しなければならないのか、それはこの世のしがらみをもったまま、修行するには困難が伴うからです。
この世は洗汚な世界、生きていれば汚れてします。だからと言って、山川幽谷の地にはいることが可能でない人がほとんどいないのです。この世のしがらみのなかで生き、そのことも修行とし、そして寂静の世界を得るために仏道を志すものではないでしょうか。私はそれを「在家禅」と名づけたいと思っています。
この本に戻りますと、ほとんど方が曹洞宗のお寺が全国に約1万5千寺もあることを知らないのではないでしょうか。凄いですよね。曹洞宗と道元さんの教えは「仏様にあこがれ、ただひたすら座禅をする」ことなのです。
座禅とヨーガの違いを図解していますが、これもわかりやすいですね。日本にヨガを持って帰った人は中村天風先生ですが、天風会の修練会での座禅・瞑想について、詳細は言いませんが、「神人一如」と言いますから、神と一体になることかかもしれません。
「座禅は無念無想でひたすら座り、煩悩から解放されて「さとり」を体得する事」と書いています。天風会の座禅瞑想もこような要素も取り入れていますが、座禅するすることで、この世の煩わしさやしがらみ、また煩悩からくるのぼせから解放されることがまずは大事なことだと思います。
在家禅では、毎日の早朝座禅と就寝前座禅を最低限としています。まずは座禅をしてみませんか。これほど簡単で、いつでもどこでもできてお金もかかりません。
臨済宗の修行にも行きましたが、大変厳しいです。「公案」というものを出され、禅問答がありますが、曹洞宗は、「座禅をしている姿がそのものがさとりの姿であるとして、ただ黙々と座ります。」仏像を見るとほとんどがそのようなお姿をしています。
また私たちは毎日食事をいただいていますが、この食事の作法を書き記したのも道元さんです。食事をすることは生きとし生けるものの「命をいただく」ということです。食事も掃除も仕事も、「今やるべきことを全力で行う、これが後悔のない生き方」だと書いているのです。
この本は在家禅を提唱しているものではありませんが、座禅を実行していけば、お釈迦様の在家の弟子であった維摩のように、物心ともに豊かで、さとりを得ることもできるのです。それでは皆様のご健勝を祈りつつ・・・南~無 合掌 徳温禅月。