2014年4月7日月曜日

「終活講演会」を終えて~一番大事なこと~

 おはようございます。
5日に大分県日田市パトリアにて、「終活を楽しむ会」が主催しまして、「終活講演会」を開催しました。私が会の代表者でもあるのですが、当初、40人ほど来ていただければと思っていましたら、なんと約100人ほどの来場があり、会場が入りきれず、びっくりしました。日田弁で「たまげた」といいます。多く方が「終活」に関心を寄せているのです。


一部の「終活ってなぁ~に」を担当させていただいたのですが、原稿を作る中で、人生はまさに生老病死の世界であり、終活のことどもである老後の生活や相続、保険、介護、そして葬儀やお墓のことなど項目があるのですが、一番大事なことは、死と向き合いながら人生=生死を考えることではないかと思いました。

今から八百年前、鎌倉時代の道元さんは、そのことを的確に述べてみます。

「生を明らめ死を明らむるは
仏家一大事の因縁なり、
生死の中に仏あれば生死なし、
ただ生死すなわち涅槃と心得て、
生死として厭うべきもなく、
涅槃としてねごうべきもなし、
この時初めて離るる分あり、
唯一一大事因縁と究尽すべし。
・・・・」

この意味は、「生死とは、生老病死ー生まれ・老い・病み・死んでゆく全体であるから、この人生の根本問題をみきわめるのが、仏弟子たるものの一番大事なことである。しかし、生死という苦しみの人生も「仏のおん命である」とめざめれば、厭い捨てるべきものではなく、この人生をおいて別にに、さとりの世界を求めるべきでもない。」(「お経禅宗」 講談社より)ということです。

私たちは、若い時は生活のもろもろのことにかまけて、自分が死ぬなんてことなどほとんど考えていないわけですが、六十歳という還暦を迎えると、あと二十年かと人生に限りがあることを思い、そして、両親や兄弟や友の死を通して、死の重みを実感するようになるのです。

あなたは、目に見えるものだけで、死を迎えることができますか、目に見えないものの大きな存在に気づいたとき、生かされてきたことに、本当の感謝の気持ちがわきおこってくるはずです。私が東京国際仏教塾に通って、中野東禅先生からご教授していただいたからこそ、私の終活ができるし、皆様への支援活動ができるのだとつくづく思いました。

読者の皆様、ぜひとも自分の人生を見つめなおし、死を覚悟しつつ、残されたこの世の時間を大切に生きて欲しいと思う次第です。それでは皆様のこころに平安でありますようにお祈りします。合掌 南~無 徳温禅月。





0 件のコメント:

コメントを投稿