おはようございます。
韓国珍島沖での旅客船の沈没事故で亡くなれた方々のご冥福をお祈りします。そして一人でも多くの方が救助されることをお祈りするばかりです。また、日本国内でも高速道におけるバス事故、マレーシア航空機事故など、これほど多くの人命がなんらかの人的な原因で失われています。
今、世界で起きている事故は、どうしておきるのでしょうか。人のいのちを預かる仕事や事業をされている方々の心構えといいますか、覚悟と言いますか、そういうものが薄らいでいるのではないでしょうか。それは人命にたいする軽視につながっていると思います。
さて、人の命を預かる仕事や事業を見てみると、バスや列車などの交通機関の運転手、航空機のパイロット、旅客船の航海士、旅館やホテル事業など直接かかわっているものだけでも数え上げることができます。
そして、その責任を全うして方々が大部分なのです。仕事に誇りを持って、その職務を全うしていただいております。しかし今回の旅客船沈没事故から伝わってくるニュースを聞いていると、あきらかに常識を逸した船舶会社の利益追求の犠牲になっているとしか思われません。
既定の三倍以上の積み荷をしていたとか、船長ではなく三等航海士に舵を任せていたとか、船員が救助活動をせずにお客様をほったらかして逃げたとか、経済性の追求の中で、失ってはいけないいのちへの崇高な思いが薄れてしまっているとしか思えません。
人のいのちを預かる仕事をしている人は、自分のいのち以上に、あらゆる危険から人々を守らなければならない責務があります。それは、宗教者がもっとも重くのしかかるものでしょう。事業家は、常にもしものことを想定し、事業内容から労務管理にいたるまで細心の注意をしなければなりません。
もし、このような事故が起きたら、すべての償いをしなければいけないことを肝に命じておかなければなりません。ある会社の会長さんが存命中に、新規事業に挑戦することはいいが、バス事業やホテルなどのいのちをお預かる事業はしないでくれと言ったことをいつも思い出します。
それは、やはり事業家として責任が負えないことを知っていたからではないでしょうか。まさに一人一人のいのちは地球より重いことをいつも思い、職務を遂行しなければなりません。このような事故が二度と起きないように、あらゆる危険を察知して、危険を及ぼす行為は断固してしないという自己誓約をすべての人がしなければなりません。
亡くなれた方々は、どれだけ苦しかったでしょうか、どれほど無念でしたでしょうか。どうぞ御仏が癒してくださいますようにとお祈りしたします。南~無 合掌 徳温禅月。
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