2013年8月9日金曜日

「空海の風景」を読むⅤ-密教への道ー

 おはようございます。
司馬遼太郎さんの小説は、時代背景が浮かびあって、主人公の本質がえぐり出されていくところがありますね。その時代の寵児たちを描いているので、時代考証もしっかりしていると感心します。この「空海の風景」は、巨人が巨人を描いた感があります。

さて、読み進めていくと、空海は、自らの進路を決断するために、儒教、道教、仏教の違いと、仏教の優位性を「三教指帰」に著したのですが、20歳前後から仏典を読み漁り、24歳で大乗仏教が何たるかを十分に理解したと「三教指帰」でわかります。凄いですね。

しかし、空海は満足しなかった。なぜなら仏典(経典)で理解することが、仏教ではなく、生身のからだと魂で感じ取るものと思っていたからです。そして31歳になるまでの6年間、また山岳修行に明け暮れていたことでしょう。この時期は行方不明らしいです。


大乗仏教の顕教ではあきたらず、当時、部分的に入ってきていた雑密と言われる密教をいわゆる山伏など修験者から学んでいたのでしょう。ある時、密教の経典は、「大日経」で奈良の久米寺にあると告げられます。「空海の風景」はこのように語っています。

勤操らしい人物がもらしたというのは、要するに『大日経』と、その所在についてである。すでにインドにあっては雑密世界を超越して『大日経』とあたらしい密教的世界把握が成立しているということを空海は知らなかった。しかもその経典は日本に来ているという。空海のこの発見は、日本の思想が、もしくは東洋の思想史にとって、ふりかえっていえば驚天動地の事態であるといえるかもしれない。なざならば純粋密教というのは、空海がそれを確立したもの以外はその後ほどなくインドでも中国でも消え、チベットではすぐさま変質し、いまではどこにいってもいないからである。空海の思想のみが遺った。
『大日経』七巻三十六章は、すでにインド僧の手で唐の長安にももたらされ、その漢訳が完成してわずか五年後の七三〇年に日本につたわっていることをおもうと、この当時の東アジアにおける交通の活発さに目をみはらざるをえない。何者がこの未見の経典をもたらし来ったかについてはいまとなればよくわからない。・・・・・

密教という言葉の響きは、なにかしら超能力的な力を教えているように聞こえるが、ただそうではなく宇宙の原理を説いたものであります。

『大日経』正式には「大毘廬遮那経」と言われ、「宇宙の根本仏である大日如来が、自ら悟りの智慧を菩薩たちに語っているもので、悟りとは、あるがままの自らの心を知ることであり、そのためには、悟りを求めて努力すこと菩薩行はもちろん、すべての者を救済しようとする慈悲の心が不可欠であり、他者のためにつくさなければならないと説く。」「図解雑学空海」より

しかし空海もまた、この大日経を理解し、会得することはできなかった。だからこそ唐(中国)に渡り、直接、その師より教授してもらうよりなかったのであります。ここに強い願望と、使命があったのです。
四国88ヶ所巡礼のお遍路さん

司馬遼太郎さんは、若き空海が、肉体からくる情欲とのたたかい、いかに性欲をコントロールするかなど、なまなましく描写しています。親鸞もまた同様の苦渋を味あい、克服していったのです。大日如来には手が届かない(なれない)が、やはり空海や親鸞をめざすべきでないでしょうか。

以前、クリスチャンの人で、イエスキリストが目標ですと言った方がいましたが、宗派はともかくとして、生身の肉体を持って、真理に到達した先人・哲人・宗祖を目標として精進すべきだと思います。
まだ読んでない人は「空海の風景」を一緒に読んで行き、私のブログへコメントして下さい。それでは、来週またお会いしましょう。

参考図書
「空海の風景」  司馬遼太郎著  中公文庫
「図解雑学空海」 頼富本宏監修  ナツメ社
「空海入門」    加藤精一著   角川文庫
「密教経典」    宮坂宥勝訳注  講談社学術文庫

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