2013年8月28日水曜日

「空海の風景」を読むⅩー最終章ー

 おはようございます。
司馬遼太郎さんの「空海の風景」は、中公文庫で上下になっていますが、司馬さんが仏教用語をできるだけ使わずに書いたと述懐しているとおり、読みやすいと思いますが、やはり空海関連の本を読んでないとわかりづらい点があるかもしれません。

「空海の風景」下で、終わりの方に、最澄さんとの確執?が描かれていますが、二人がいたからこそ、今日の日本仏教の基礎が確立したのであり、ひとりだけなら、禅も念仏も出て来なかったかもしれません。

いつの時代でも、どこの場所でも、良き友、よきライバルがいて人間は成長できるのではないでしょうか。そのような運命をもっているのです。道元さんと親鸞さんがそのような関係だったかもしれません。
四国88ヶ所巡りより
 
「空海はすでに、人間とか人類というものに共通する原理を知った。空海が会得した原理には、王も民もなく、さらにはかれは長安で人類というものは多くの民族にわかれているということを目で見て知ったが、仏教はもしくは大日如来の密教はそれをも超越したものであり、空海自身の実感でいえば、・・・・中略
 日本の歴史上の人物としての空海の印象は特異さは、このあるかもしれない。言いかえれば、空海だけが日本の歴史のなかで民族社会的な存在ではなく、人類的な存在だったということがいえるのではないか。」(空海の風景下20より)

空海さんが「金剛遍照」といわれる由縁がここにあると思うのですが、宗教とは、仏教とは、それぞれの人生のなかにあり、生活のなかにあり、釈尊を祈り、祖師を尊ぶとき、人間は謙虚になり、苦しみや悲しみを乗り越えることができるのかもしれません。それは皆さんがじかに肌で体験することで、あたまで考えることではないと思っています。そのとき、「南無」の意味がわかるのではないでしょうか。ぜひともこの「空海の風景」を読んでいただきたく思います。

室戸岬の発端にある最御崎寺です。

感想文とした相当、脱線して書きましたが、最後に朝廷に持参した「御請来目録」の中に書いてる経典の中に、「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」があります。釈迦の弟子の文殊師利が書いたと言われるものですが、明治時代まで門外不出でした。

戦後、「宿曜経」を「宿曜占星術」として、井関天海師が確立し、小峰有美子氏がわかりやすく世にだしたのですが、これで各人を見てみると、性質・性格がぴったりであったのでびっくりしました。人間はいわゆる遺伝子以外に、その人を運命づけるものを与えられて、生をうけているのかもしれません。知らずに生きるのも人生ですが、知っていれば人生の問題に対処できると思っています。

以前、オバマ大統領や習近平国家主席、パククネ大統領や安倍首相を宿曜経でみてブログに書きましたが、国際問題になると困るので、今回は書くのは止めました。空海さんは「女宿」という宿星で原典にこう書いてあります。

「この宿に生れし人、力量あり、病少なし。布施を好み、法律を守り、道業に勤めて宗祖を崇(うやま)う。家業盛んなれど、陰性なり。色難を慎むべし。陰謀詭詐に利あり」

どう思います。「空海の風景」を読んだ人は、当たっていると思うでしょうね。あとで本を紹介しておきますのでご興味のある方は読んでください。

「空海の風景」は3年後にまた読んでみたいと思いました。その間、空海さんの書物に挑戦しておきたいと思う次第です。合掌。

参考図書
「空海の風景」上下 司馬遼太郎著 中公文庫
「空海入門」 加藤精一著 角川文庫
「宿曜占星術」 小峰有美子著 講談社文庫

 

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