2013年8月6日火曜日

湯布院山荘無量塔ー友を偲ぶー

 おはようございます。
おととい、湯布院塚原でのウォーキングを終え、無量塔(むらた)の奥様(社長)にお会いするお約束をしていたので、久しぶりに山荘無量塔に立ち寄りました。


奥様とのお話のなかで、さまざまな思い出がよみがえって来ました。創業者の藤林晃司氏は、日田市で「あかもん」という喫茶店を開いたのですが、当時の喫茶店の中では、店内内装を重厚にし、彼の好きなクラシックしかかけない徹底ぶりで、彼がコーヒーをいれるとき様は、芸術的でした。

それから数年たち、これからどこが伸びるだろうかと相談を受けたので、私は湯布院だと思うと助言したら、彼は数か月のうちに湯布院への移転を決めました。

藤林語録そのいち
「ひと(女性)で左右する商売は、ひとでふりまされる。ひとではなく、ひとに左右されないもの(施設)をつくれば、成功する」

無量塔の最初の店は、金鱗湖の近くの普通の家という雰囲気でしたが、それから喫茶ルームと地鶏の炭火焼き料理の併設の古民家風の店が爆発的に評判になり繁盛しました。


なぜ、藤林氏は、「無量塔」(むらた)という店名にしたのか、いつも聞きそびれていたが、あるいは話したかもしれないが、無量とは、仏教の無量寿(むりょうじゅ)、無量光(むりょうこう)である阿弥陀仏信仰から来た言葉であります。

日田市城町に慈眼山永興寺(じげんざんようこうじ)という寺があり、ここは浄土宗の古刹で、国指定重要文化財である十一面観音立像が保存されています。ここと親戚筋でしたので、子供の頃から仏教に慣れ親しんでいたのだと思います。彼から何度か耶馬渓の羅漢寺を見にいこうやと誘われたことがありました。

彼の芸術的感性は、このような寺院などの伝統的な建物や庭を見ることで養われてきたのかもしれません。そして、現在の山荘無量塔をつくるのですが、1980年代はまだこの湯布院川上地区は閑散としていて、空想の森美術館ができたころでした。


藤林語録そのに
「にんげんはうえへ向かう。建物も高い建物をつくるし、このような自然環境も山を目指すし、ひとびとはうえにやって来る」

彼の挑戦は、古民家をいかした、旅荘をつくることが、彼の芸術的感性の集大成であったかもしれません。森のなかにあるひとつ、ひとつの建物、内装、調度品は芸術なのです。しかし彼には芸術家ありながら、商売人の完成も持ち合わせていました。

藤林語録そのさん
「湯布院でコストリーダーにならなければいいものを提供できない。湯布院の値段は無量塔が決める」と話していました。


無量塔の成功の秘訣は、ディズニーランド方式で、お客様があきないように、アルテジオ(クラッシクの美術館)をつくったり、ロールケーキの店Be speakをつくったり、藁麦の店をつくったりと、山荘無量塔のなかの数々の施設そのものが藤林ワールドなのです。いつも話題性を提供してきた。別府湾SAのレストランもそうだと思います。

商売成功の秘訣は、お客様がリピートするようにアトラクションを開発することだ。事業は関連したものを行うということだと、ご自宅で奥様とお話し、友を偲び、湯布院をあとにしました。(施設内の詳細は、山荘無量塔のHPをご覧になってください。)明日は天ヶ瀬町顕徳坊尊登頂のためお休みです。




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