真魚が大学を中退して、仏道にはげむことになったことで、叔父のいわゆる大学教授の阿刀大足は、父である佐伯直田公から真魚を預かっているわけですから、大変頭を痛めた様子が、「空海の風景」のなかで、司馬遼太郎さんが書いていますが、この辺の描写がうまいですね。
親戚筋の政府のお役人である佐伯今毛人も当然、僧になどなることに絶対反対、地方豪族である両親は、兄二人をなくし、真魚は跡継ぎだし、うろたえたことでしょう。真魚自身もいわゆる行方不明状態ではなく、奈良の寺院で仏法を学び、吉野や熊野、そして四国など一応、行く先は言って修行にいったであろうことが推察されます。
四国お遍路中の筆者、第32番札所禅師峰寺前にて、3月でしたが四国は寒いですよ。
なぜなら、「三教指帰」を読んでいて、いかに両親に考につくさなけらばと思いが出ているからです。また、叔父への不忠も許されないと思ってはいるわけです。おそらく直接言えないので、「三教指帰」を書いて、これを渡したのではないでしょうか。
脱線しますが、佐伯家の三兄弟が存命していたらどのような展開になっていたでしょうか。おそらく真魚は無難に僧への道を進むことができたかもしれませんね。昨日、ボクシングの亀田三兄弟の三男和毅がチャンピオン戦に勝ち、三人とも世界チャンピオンになりましたが、なにやかや言っても、凄いですよね。亀田家の父と子の絆の強さに、驚嘆するのは私だけでしょうか。
ところで、「三教指帰」に何がかいてあるのか、「空海の風景」を読めば、おおまかにわかると思います。三つの教え、つまり儒教、道教、仏教の教えを戯曲で構成し、叔父さんや両親に弁明したのであるが、20歳前後でよく勉強しているし、文章が淡麗ですよね。詳しく読みたい方には、加藤純隆・加藤精一訳の空海「三教指帰」(角川文庫)をお薦めします。現代訳と原文がついている読みやすい本です。
「三教指帰」の最後に、「十韻の詩」を書いています。原文を載せますのでじっくり味あってみてください。
「居諸冥夜を破り、三教痴心をかかぐ。
性欲に多種あれば、医王薬鍼を異にす。
綱・j常は孔によって述ぶ。受け習うて槐輪林に入る。
変転はたんこうの授け、依り伝えて道観に臨む。
金仙一乗の法は、義益最も幽深なり。
自他兼ねて利済す、誰れか獣と禽とを忘れん。
春の花は枝の下に落ち、秋の露は葉の前に沈む。
逝水、住まること能わず、廻風、幾たびか音を吐く。
六塵は能く溺るるの海、四徳は帰する所の岑なり。
己に三界の縛なることを知んね。何ぞえいしんを捨てざらん。」
こうして、「三教指帰」を書いて決意をし、仏道修行に励むのですが、31歳まで大和から四国の山野を駆け巡ったことでしょう。「大日経」との出会いと密教を学ぶために唐へと渡航する風景もいいですよ。来週続きを書きます。
参考図書
「空海の風景」 司馬遼太郎著 中公文庫
「三教指帰」 加藤純隆・加藤精一訳 角川文庫
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