2013年8月12日月曜日

「空海の風景」を読むⅥ-不思議なさだめー

 おはようございます。
私のブログの読者に、暑中お見舞いと感謝を申し上げます。なぜか最近、毎日たくさんのアクセスがあり、お盆休暇でもと思ったのですが、心を入れ替えて書いています。アクセスが一番多かったのが、天ヶ瀬ロングトレイルシリーズですが、瞬間台風は湯布院山荘無量塔でした。そして、地道に安定してアクセスがあるのが仏教関係のシリーズです。

さて司馬遼太郎さんの「空海の風景」を読んでいて、読み返す場面がありますが、まさに風景描写が目に浮かんで来ますね。空海は、密教の真髄を得ようと、唐への渡航の決意をし、機会をうかがっていた様ですね。考えれば一介の私度僧が留学生に選ばれると言うことはないと思われるので叔父さんの儒学者阿刀大足の尽力と、佐伯一族の留学資金援助があったと思われます。

四国88ヶ所第十四番札所常楽寺、自然が生み出した流水岩の境内です。東京からの若いお遍路さん(OL)にお会いしましたが、信仰心のある若者がいる限り、日本はまだまだ大丈夫です。

「空海の風景」を読んでいただいて、じっくりその風景描写を楽しんでいただきたいのですが、私が不思議に思っているのが、実はこの時の遣唐使船団は4艘で、第二艘には、比叡山延暦寺を創建した最澄さんが乗っていたのです。

空海さんは第一艘、最澄さんは第二艘、そいて第三艘、第四艘と、那の津を出港するのです。司馬さんは書いていませんが、ふたりとの大分県の宇佐神宮に参り、旅の無事を祈願していますので、実はここで二人は顔をあわしているかもしれませんね。

当時の遣唐使船が無事に中国にたどり着く確率は50%くらいだったそうですので、まさにいのちがけです。那の津を出て、いまでいう台風にあうのでしょうが、船団はばらばら、第三艘と第四艘は行方不明、第二艘はなんとか目的地に着き、第一艘は漂流しますが、中国に着きます。

もし、最澄さんと空海さんがここで海の藻屑と化していたら、日本の仏教はどうなったでしょうか。もっといえば日本国はどうなったでしょうか。ふとそう思うと私はこの不思議さを感じながら「空海の風景」を読んでいました。

歴史を振り返ると、その人に匹敵するほかの人が出てきたでしょうと言う人がいますが、わたしは違うと思います。歴史の中で、その時代にふさわしい人を宇宙は産んでくれていると思います。もし最澄さんと空海さんが、第三艘と第四艘に乗っていたら、その船が中国にたどりついたと思います。

最澄さんと空海さんが渡航の無事を祈願した宇佐神宮です。

私たちは最澄さんや空海さんにはなれませんが、神仏は一人ひとりにいのちと生きる目的を与えてくださっているのです。生きることに迷ったら、静かに座禅を組み、瞑想し、祈ってみませんか。必ず聞こえてきます。

仏教では縁起といいますが、その時代に必要な人を神仏は送り、因果応報に沿って、歴史は展開しているのです。偶然何かが起こるのではなく、必然的に起きているのです。天変地異も異常気象もそうなのです。そして神仏はそれを変えることができることを昔の人は知っていたから、祈ったのです。

歴史は、神仏に祈ることをわすれた民族が生き残れないことを物語っています。いわゆる罪のない人達のいのちが失われるのは、代受苦と言って、本来私たちが受ける苦しみを、他の人が受けてくださっているのです。温暖化の問題は、私たち全員の責任でしょう。原子力発電事故の問題は、私たち全員の責任でしょう。

あなたは太陽発電を自宅につけましたか、エコ給湯にしましたか、エココンをこまめに調節していますか。私たちが享受しているツケは必ずいつかどこかで出てくるし、世界のどこかであなたが残す食べ物も食べられずに死んでいく子供たちが年間250万人もいるのですよ。40℃越えたら、たまらないなんて言ったら申し訳ないとおもうこの頃です。小生はエアコンを使いません。

まずは、世界の平和のために祈りましょう。ご先祖様を供養し祈りましょう。ほかの人が健康であるように祈りましょう。そして私たちから災難を取り去ってくださるように祈りましょう。祈りを生活のなかに取り戻しましょう。何教とか、何宗とか関係ありません。祈りはすべてのひとに与えられています。感謝です。

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