昨日、空海と最澄は嵐に生き残る運命(さだめ)と書きましたが、荒れ狂う暴風雨のなか、遣唐使船内で、どうしていたのでしょうか。最澄さんは、共の者をそばにおいて、うろたえることなく澄ました顔をして、妙法蓮華経観世音普門品を唱えていたのでしょうか。
空海さんの様子を司馬遼太郎さんは、「空海の風景」で、
「船中の僧という僧は二六時中経をよみ、仏天に祈っているというのが遣唐使航海の常であったために、空海もそのひとりとして経をあげていたであろうか。それとも空海だけはその看経のむれにはまじらず、片すみで黙然と、岩にでも成ったようにうずくまっていたであろうか。かれはすでに奇跡の体験者であった。かって土佐の室戸岬の岩窟のなかで明星が近づき、口の中に入るという奇妙な体験をしたことが、空海をして存在としての自分の認識を変えしめた。かれは宇宙の意思がじかに、そして、垂直に突きささっているということを、さりげない日常のなかにも感ずることができたであろう。ましてこの危難のなかで感じなかったはずはない。かれは、船体が叫喚するがごとくに軋み、ときに真二つに割れそうになる瞬間も、平然とその一念のなかにいたかと思われる。」と描写しています。
「空海の感覚世界からすれば、船倉の中で悲鳴をあげるひとびとも、生きたそらなく萎え沈んでいる官人たちも、空海がいるがために結局は無事に着くという、この宇宙そのもののように平明な大事実が知らないということで、度しがたく無知なひとであると思われた。まして感応するはずもない経を声高に、物狂いして読んでいる僧たちのおろかしさはどうであろう。」
「ふりかえっておもえば、空海は、思想性をたかだかと保ちつつ、しかもときに宇宙の胎内に入りうるという宗教的人格を以ていたという点で、この国のながい歴史のなかで唯一の人物であったと言えるかもしれない。」 ー「空海の風景」(中公文庫)ーより
司馬遼太郎さんの洞察力は、読書力と仏教という宗教を自らの思想性と対峙させながら思考していくことから生れてくるものだと、私は感じるのですが、読者諸氏はどうですか。
第一艘は三七日間も漂流するのですが、空海は、必ず中国につくという確信は持っていたが、それは、真言を通して、天仏(神仏)と語っていたと思うのです。あの室戸岬での虚空蔵求悶持法を体得し、宇宙と一体になり、大自然はその一部であり、暴風雨は自らの配下になさしめている人物が誕生するのです。
空海が悟りをひらいた御厨人窟(室戸岬)
その真言とは、「なうぼう、あきやしや、きゃらばや、おん、ありきやまりぼり、そわか」です。真言や陀羅尼はサンスクリット語いわゆる古代語ですが、神仏の言葉と言われています。この真言に力があるのですが、これは体験したものにしかわからないのです。ほとんどの現代人が失っている言語と祈りなのです。
キリスト教プロテスタントのペンテコスタント(聖霊派)は、異言(神の言葉)で祈ります。このグループは神癒を行い、アメリカのグループは自然災害をも防止してきました。韓国のペンテコストも同様のことを行います。実は空海さんは、長安でキリスト教にも接触したらしいのです。
この遣唐使船での修行こそ、空海を遍照金剛たらしめる絶好の機会だったのでないでしょうか。「空海の風景」を読んでいると、空海とこれを書いた司馬さんの恐ろしさを感じるのです。
四国八八ヶ所第二四番札所最御崎寺(室戸岬にたつ寺です。)
ところで、辛坊治郎さんがヨットでの太平洋横断を試み、失敗しましたが、彼がなぜ太平洋横断をするのか、あれだけ論理的な人ですが、聞いていてもよくわからないのです。あの企画は二四時間TVの企画だったとの話が出ています。
「夢は実現する」と安易に言う人たちがいますが、私利私欲から出た夢は実現しません。最終的に人のためになる、世のためになる夢しか実現しないのです。それは「成功の秘訣」として、聖書や仏典に記されているのです。神仏と一体となること、神仏に祈りを捧げることが最強の「成功の秘訣」なのです。
※14日より18日まで、お盆休暇のため、ブログはお休みします。
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