昨日から、写真の貼り付けができず、ブログの作成ができませんでした。お正月から書いてきた「日本人の宗教観」をまとめたいと思います。結論から言えば、私たち日本人は、無宗教な国民ではなく、大変宗教心の熱い民族であると言うことです。
「日本の宗教」(日本文芸社)を書いた田中治郎先生は、そのプロローグで、「宗教とは、人間の力を越えたものに対する畏怖であり、恭敬であり、依存であり、信仰であると定義するならば、日本人も十分宗教的な民族だといえる。教会を見ても、神社を見ても、お寺をみても恭敬の念を起こして手を合わせるのが日本人の宗教のあり方なのだ。もともと、日本人は山に神を感じ取り、川に神を実感し、海に神を見てきた。自然のあらゆるものに神の存在を認め、八百万の神を敬ってきた多神教の民なのである。」と書いています。
これが純粋な神道であり、仏教伝来とともに、神仏混淆し、私達日本人の精神性を育んできたのです。それは今も続いていますが、残念な歴史的事実は、明治政府によって、「神仏分離令」が発動され日本国中で廃仏毀釈が吹き荒れ、仏像は破壊され、神社とお寺が分離されました。どこかの国と似ていると思いませんか。
私達日本人の純粋な神道から国家神道を唱導し、軍国主義へと突き進み、日清・日露戦争、2.26や5.15事変を経て、太平洋戦争へと突き進んだのです。このことは忘れてなりません。だからこそ戦前の思想や教育に復古するのではなく、純粋な日本人の霊性に帰るべきだと思います。
そし第二次大戦後、唯物主義が蔓延し、国民のなかから宗教心や道徳心をそぎ落として行ったのです。しかし今よみがえろうとしているのは、日本人がはぐんできた、DNAに刻印された神仏混淆の宗教ではないでしょうか。それを日本教と言っているわけです。
確かに民族宗教ですが、他の宗教とも共存共栄できるものですし、他を排することなく、受容できる包容力のある宗教を日本人は持っているのです。神仏は、このような日本人を世界平和のために用いて下さると信じています。
ぜひとも私たちの歴史や文化そして宗教を改めて学ぶべき時にきているのではないでしょうか。20本年が皆様にとって充実した実り多き年でありますようにご祈念したします。合掌 徳温禅月。
参考図書 「日本の宗教」 監修 山折哲雄 田中治郎著 日本文芸社
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