おはようございます。
五木寛之さんの「新老人の思想」の感想を書いたら評判が良すぎて、でも書き残しているなとおもいつつ、東京都知事選の立候補者が名乗りを上げるにつれ、五木さんのご指摘通りなのですが、この国は老人が支配する国になるのかと思うと、寒気がして来ました。
中松さんは85歳と細川さんは75歳、宇都宮さん67歳、田母神さんと枡添さんは65歳、魑魅魍魎の世界に見えて仕方ありません。ケネディは43歳で第35代アメリカ大統領になりましたが凄いですよね。若いいもんはおらんのかいと言いたい。
せめて50代の方。僕は政治家は65歳定年制にした方がいいと思う。頭も肉体も、本当に第一線で働けるのか疑問に思います。なぜか五木さんの本で年寄りが元気づいてきたみたいですね。いわゆる人生の諸先輩のあり方としてはどうかなと思う次第です。
私がオススメしたいのは、地位も財産も後継者に譲って、隠居して時々は若いもんの相談に乗ってあげて、アドバイスしてあげる存在つまりご隠居さんですね。政治家のみならず経営者もそうですよね。社長を譲っても会長になって、院政をしくような企業が伸びるわけがないと思うのです。
ウィペデイアには
「隠居(いんきょ)は、戸主が家督を他の者に譲って、隠退すること。または家督に限らず、それまであった立場などを他人に譲って、自らは悠々自適の生活を送ることなどを指す。もしくは、第一線から退くことなど。隠退(いんたい)とも。」と書いています。
特に、横丁の長屋のご隠居さんをいいですね。江戸時代の町のご隠居さんですね。還暦を過ぎれば、10年後か20年後か、かならずあの世へ逝くわけだから、自由きままに生きたいものです。どうしても肩書きも欲しい人には、60代若年寄り、70代老中、80代大老、90代長老はどうでしょうか。名刺にも書いていいですよ。私は最近、ご隠居と書きたくなりました。
「徒然草 」の吉田兼好の生き方はまさにそれではないでしょうか。
「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」
「清貧の思想」の中野孝次先生の現代訳は「為すこともなく退屈なまま、日がな一日硯(すずり)に向かって、心に映っては消え、消えては映る埒(らち)のないことどもを、浮ぶがまま、順序もまとまりもなく書きつけていると、自分が正気かどうかさえ疑われるような、狂おしい心持ちになってくる。」
現代風に言えば、パソコンに向かって、心の思うままに、キーボードを打ってブログを書いていると、しがらみから解き放たれた自分に気づく、そんな自分が好きで好きでたまらくなるという心情でしょうか。
自由きままに生きる。主従関係(雇用関係)から解き放たれた世界、金儲けから一線を引いた世界、しがらみのある人間関係を離れた世界、好き勝手なことができる世界、男とか女の関係を越えた世界、若者(年下)に優しく接せられる日常、困った人に手を差し伸べてあげる心の余裕などが満ち溢れているのが、ご隠居さんではないでしょうか。
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