「甦れ!豊の軌道~時空の旅」の片岡鶴太郎さんは、久大線の車中から天ヶ瀬温泉の風景を見て、突如、途中下車し、山荘天水という旅館の露天風呂にはいるのですが、別府・湯布院・天瀬は豊後三大温泉なのです。
日田観光協会より天ケ瀬町山荘天水
鶴太郎さんは、ここで温泉を楽しむわけですが、この旅館の川下に「桜滝」言うパワースポットの勇壮な滝があります。一月の滝は、寒がしまっていますね。
残念ながら、司馬さんたち一行は、天ケ瀬は停車せずに日田に直行です。やはり咸宜園を取り上げていただいているのがうれしい限りです。
「豊後日田は、江戸期では三万二千石、堂々たる天領の地であった。土地ではヒダといわず、ヒタと澄む。・・・・
日田は高原をなして、いわば僻地というにちかいが、江戸時代は漢学がさかんで、広瀬淡窓の咸宜園などは全国からこの遠国のそのまた不便な高原の町に子弟があつまり、門人三千余人といわれた。江戸期における慶応、早稲田といった私学の雄は江戸よりもむしろこういう土地にあったということが、江戸体制を考える上で興味がある。」ー「街道をゆく」8巻ー
咸宜園の魅力については、友人の深町浩一郎氏が西日本新聞社より「広瀬淡窓」を出版しているので一読していただきたいと思います。
咸宜園ー秋風庵
咸宜園ー桂林荘跡地
司馬さんたちは三隈川で遊船を楽しんだようで、鵜飼の話を面白く書いています。
鶴太郎さんは、豆田町の「伯亭若の屋」という旅館で、郷土料理をいただいていましたが、ここも同級生の西下寛蔵氏が主ですが、息子さんがおもてなしをしていました。まったく顔が似ていず、イケメンなので遺伝は奥さんの方かもしれませんね。
天領ひた~豆田町界隈
鶴太郎さんは、拍亭の近くの民芸品の車屋さんとか旭饅頭さんで、人情味ある出会いを楽しんでいました。天領日田も2月15日から「お雛祭り」が始まります。春のそぞろ歩きには最適です。OAB放送の番組も面白かったし、司馬さんの「街道をゆく」8巻~豊後日田街道~を読むと意外な一面が見えてくるものです。できれば柳宗悦さんのお名前があがっているので「小鹿田焼の里」に行って欲しかった。司馬さんはなぜか小石原から北九州へと帰ったようです。
小石原のことも書いているので、小鹿田の里も、あすご紹介し、書いてみましょう。それでは読者の皆様が、今日も充実した一日でありますようにお祈りしつつ・・・南~無 合掌 徳温禅月。
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