2014年5月15日木曜日

「図解 早わかり!道元と曹洞宗」~死んだらどうなるの?~

 おはようございます。
この本の感想文を書きましたら、多くの方がアクセスしてくださり、すこしびっくりしました。感謝です。私は、在家の禅僧として、終活支援活動をしながら、こころのよりどころとして、お釈迦様の教えを伝えています。またクリスチャンの方にも、わかりやすく聖書に書いてあることをお話することがあります。

「曹洞宗では「死」をどうとらえる?」という節がありますが、道元さんは死に正面から向き合った禅僧のおひとりです。世界で最も優れた哲学書とさえ言われている「正法眼蔵」のなかに、「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」とありますが、「自分が今生きている意味を考え、死について考えることは、宗教なくして解決できない、人間にとって重要な問題である」とこの本で中野東禅先生は書いています。

私たちは死んだらどうなるのでしょうか?

「曹洞宗の葬儀では、故人に受戒を行い、戒名を与え、「印導法語」によって求道者としての自覚を促し、さとりを得て仏様の世界に(浄土)に安らかに安住できるよう祈る意味があります。同時に参列者に対しても、仏縁を結び、さとりの知恵によって幸せに生きられるよう願う意味があります。」

死んだら肉体は、もぬけの殻になります。これまでありがとうと言いたいですね。兄が4年前、66歳で癌で他界するとき、臨終に寄り添い、お見送りしました。何をお見送りしたかって?それは言葉でいえば、「霊魂」です。はっきり去っていくことがわかりました。このようなことは立ち会っている人しか自覚できないのです。

そうです。死んだら御仏のみもとへ旅立つのです。キリスト経であれば神のみもとです。

葬儀をしない「直葬」は、去りゆくものを冒涜するものであり、唯物思想に毒されたものであると思っています。「死」と向き合うことで、「生」の大切さを理解することが、残されたものの人生を豊かにすると思います。だから葬儀を葬儀屋まかせにしてはいけないと思っています。

また「布施ー与えることが喜びになる」という節がありますが、もっともお布施をするのは、お坊さんです。お布施とはお金ではありません。見返りを求めず、できうる限りのお布施をするとき、お寺も信徒さんも、幸福になれるのです。

それでは、皆様の幸せを祈りつつ・・・南~無 合掌 徳温禅月。





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