2014年5月28日水曜日

「仏教聖典」を読む~最後の教え1~

 おはようございます。愚息の誕生日にこの「仏教聖典」文庫本を贈る為、さきほど5冊、アマゾンに注文しました。この世の中は、すぐそばにお金もさほどかからないで、「宝」があることに気がつかない人がうようよいます。

先日、役小角(行者)が開基したと言う大分県日田市大山町の烏宿神社(からどまりじんじゃ)に登り、釈迦岳がある前津江に向かう道すがらにありました、御仏に合掌しました。


さて、仏教聖典」の第一章、第二節は最後の教えとなっていますが、仏陀の生涯を語っていますので、涅槃寂静のまえに、弟子たちに語った釈尊の最後の教えが書いています。

「弟子たちよ、おまえたちは、おのおの自らを灯火とし、自らをよりどころとせよ、他を頼りにしてはならない。この法を灯火とし、よりどころとせよ、他の教えをよりどころとしてはならない。

わが身を見ては、その汚れを思って貪らず、苦しみも楽しみもともに苦しみの因(もと)であると思ってふけらず、わが心を観ては、その中に「我」はないと思い、それらに迷ってはならない。そうすれば、すべての苦しみを絶つことができる。わたしがこの世を去った後も、このように教えを守るならば、これこそわたしのまことの弟子である。」(「仏教聖典」仏教伝道協会)

仏陀=釈尊は、他のものに頼ってならないし、宇宙の法則であり、原理原則である法(ダルマ)をよりどころとしなさいと言っています。そして人生で修行して、他人ではなく、よく調えた自己をよりどころとしなさいと言っているのです。これこそが成功哲学です。

この考え方をしっかり持っていれば、マルチ商法に騙されたり、新興宗教の教祖にたぶらかされたり、愛欲の果てに、おんな、おとこに身を滅ぼすこともないでしょう。

厳然と働いている因果応報の原則、つまり原因と結果の法則がこの世のならわしであります。こころが煩悩にふりまわされると、深みから深みへと果しなく落ちていくのです。だからこそ煩悩を抑え、体を調え、呼吸を調え、こころを調えると、こころは静寂を保ち、煩悩の虜になることはなく、正常な判断と、決断をすることができるのです。

すべての人に平等に、必ず死が訪れます。それまでに悟りをえることが人生の目的ではないでしょうか。それでは皆様が素晴らしい人生を一歩一歩あゆむことができますようにお祈りいたします。南無釈迦牟尼仏 合掌 徳温禅月。





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