おはようございます。
昨日、日田パトリアで、土筆野(つくしの)書道会の作品展があってましたので、観に行きました。日田、大分、北九州などの6教室の生徒さんたちの書と、主宰の千原艸炎先生の書が展示されています。
千原艸炎氏の作品
艸炎さんは、高校時代の友人で、彼は一学年上でしたが、ドフトエフスキーの「罪と罰」を読んで、高校を一年留年し、3年生の時、彼が文芸部で、僕が新聞部で、お互い個性を尊重し、交遊がありました。彼は、生き抜くい時代のなかで、こころざしを貫いた人だと思います。
その後西南大学文学に行き、親父さんが書道教室をしていたので、その後を継ぎ、独自の指導方法で、生徒さんたちを育てて来たのです。同人誌も一緒に出した時期もありましたし、彼が僕の肖像画を描いてくれたので、大切にとっていることを話したら忘れていました。
この発表会には、「賞」というものはなく、ひとりひとりが切磋して、自分に向き合った作品が発表されています。
生徒さん達(小学生から大人まで)90人、120点の作品
生徒さんの「般若心経」の写経
艸炎さんと久しぶりにお話しましたが、精神的な到達点は仏教にあったようです。彼いわく、「根源と個人が向き合うところに信仰ある」と、特に妙好人(浅原才一などの浄土真宗の熱心な信者)の本をよく読んでいると話していました。彼の風貌は、宮沢賢治にそっくりです。写真がなくて残念。
艸炎さんの書 「土筆」
それぞれの道を歩んできましたが、たどり着いたところが近くでしたので、安心しました。彼の活躍を祈るばかりです。尚、土筆野会の作品展は、31日まで展示されていますので、作品と彼の顔を見に行ってください。今から大分・湯布院に行って来ます。
2013年3月29日金曜日
2013年3月28日木曜日
政治と宗教
おはようございます。
今日は、すこしお固いお話をしたいと思います。ニュースを見ていたとき、知り合いから意見を求められました。それは、朝鮮総連ビルを、鹿児島の最福寺の池口恵観法主が落札したことですが、果たして宗教家がすることかなと思い、すぐにあれは元の持ち主に貸すと思うよと即座に答えましたが、その通りのようですね。つまり最初からそうだったということです。
イエスキリストも釈迦牟尼仏陀も、政治にかかわるなと言いました。もっと言えば俗世にかかわるなということかもしれません。つまり、宗教による救済は、こころの救済であり、魂の救済であり、宇宙の根源にもとづいたものです。
現実、政治のことに宗教が立ち入ってくると、いびつなものになることは歴史が物語っています。逆に政治家が、自分の信じる宗教をもち、国民のために、現世利益をすることは何ら問題はないでしょう。
それは、政治家であれ、経営者であれ、名もなき庶民であれ、宗教をもち、その根源に、毎日祈ることは、人間として大切なことです。その清き姿勢から、良い政治、良い事業ができるのです。
日本の宗教史的にみれば、奈良仏教や平安仏教は、時の支配者によって、庇護されてきたものですから、政治と密接につながっていたことは事実です。皆さんが京都や奈良で、参詣する寺院はほとんどが今でいえば国立です。しいていえば国民のものですね。
その風穴を開けたのが、法然、親鸞、日蓮、道元、一遍などの鎌倉仏教なのです。戦乱の世のなかで、民衆の魂の救済を、それぞれが仏教の根幹から、いのちをかけ、主張し、行動していったのです。鎌倉仏教の旗手たちは、ほとんどが、時の権力者から追放処断されます。自分から都を離れたのは禅宗の道元だけでした。政治的な圧力はあったと思いますが。
つまり宗教は、その目的から乖離してはならず、国民の魂の救済のためのものであるという、よって立つ考えを持つべきではないでしょうか。
政治家と癒着したり、その結果として政治的な行動(今回、池口氏は政治的な行動と取られても仕方ないと思います。)をとるべきではないのです。
私は、宗教や信仰は、ひとりひとり個人が、人生を一所懸命に生き、働き、自分の中に持つべきもので、宗教団体に入るものでもないし、寺院に帰属するものではないと思っています。
毎朝、起きて、座禅し、お経を供え、祈ることが、宗教の行為であり、信仰ではないでしょうか。教会や寺院に行って祈ることが、信仰ではないのです。日々の生活の中にこそ、信仰はあるのです。それは教会や寺院を否定しているのではなく、ともに祈る場としての必要性はあるのです。しかし壮大な寺院を立てる必要はないでしょう。
今回のことは、いろいろ波紋をよび、結果的には、関係者が窮地に立たされ、戦後日本人の宗教離れや嫌悪感がましてくるかもしれませんね。
ところで日田市の大原八幡宮がありますが、元の大原八幡宮は、元大原宮として、求来里町にあります。(町名がいいでしょ。神仏を求めに来る里と読めますね。)
元大原宮(咸宜園の廣瀬淡窓先生も塾生とたびたび訪れて漢詩を作ったようです。)
ふるさとに、名も知れずたたずむ、神社やお地蔵さんに手を合わせると、こころが癒されます。それが自然な宗教心であり、信仰ではないでしょうか。東日本大震災そして北部九州大水害で亡くなられた方々のご冥福をこころよりお祈りします。合掌。
標語 「気をつけよう、しつこい勧誘と、布施(献金)強要」 「ちかづくな、怪しげな宗教家」
今日は、すこしお固いお話をしたいと思います。ニュースを見ていたとき、知り合いから意見を求められました。それは、朝鮮総連ビルを、鹿児島の最福寺の池口恵観法主が落札したことですが、果たして宗教家がすることかなと思い、すぐにあれは元の持ち主に貸すと思うよと即座に答えましたが、その通りのようですね。つまり最初からそうだったということです。
イエスキリストも釈迦牟尼仏陀も、政治にかかわるなと言いました。もっと言えば俗世にかかわるなということかもしれません。つまり、宗教による救済は、こころの救済であり、魂の救済であり、宇宙の根源にもとづいたものです。
現実、政治のことに宗教が立ち入ってくると、いびつなものになることは歴史が物語っています。逆に政治家が、自分の信じる宗教をもち、国民のために、現世利益をすることは何ら問題はないでしょう。
それは、政治家であれ、経営者であれ、名もなき庶民であれ、宗教をもち、その根源に、毎日祈ることは、人間として大切なことです。その清き姿勢から、良い政治、良い事業ができるのです。
日本の宗教史的にみれば、奈良仏教や平安仏教は、時の支配者によって、庇護されてきたものですから、政治と密接につながっていたことは事実です。皆さんが京都や奈良で、参詣する寺院はほとんどが今でいえば国立です。しいていえば国民のものですね。
その風穴を開けたのが、法然、親鸞、日蓮、道元、一遍などの鎌倉仏教なのです。戦乱の世のなかで、民衆の魂の救済を、それぞれが仏教の根幹から、いのちをかけ、主張し、行動していったのです。鎌倉仏教の旗手たちは、ほとんどが、時の権力者から追放処断されます。自分から都を離れたのは禅宗の道元だけでした。政治的な圧力はあったと思いますが。
つまり宗教は、その目的から乖離してはならず、国民の魂の救済のためのものであるという、よって立つ考えを持つべきではないでしょうか。
政治家と癒着したり、その結果として政治的な行動(今回、池口氏は政治的な行動と取られても仕方ないと思います。)をとるべきではないのです。
私は、宗教や信仰は、ひとりひとり個人が、人生を一所懸命に生き、働き、自分の中に持つべきもので、宗教団体に入るものでもないし、寺院に帰属するものではないと思っています。
毎朝、起きて、座禅し、お経を供え、祈ることが、宗教の行為であり、信仰ではないでしょうか。教会や寺院に行って祈ることが、信仰ではないのです。日々の生活の中にこそ、信仰はあるのです。それは教会や寺院を否定しているのではなく、ともに祈る場としての必要性はあるのです。しかし壮大な寺院を立てる必要はないでしょう。
今回のことは、いろいろ波紋をよび、結果的には、関係者が窮地に立たされ、戦後日本人の宗教離れや嫌悪感がましてくるかもしれませんね。
ところで日田市の大原八幡宮がありますが、元の大原八幡宮は、元大原宮として、求来里町にあります。(町名がいいでしょ。神仏を求めに来る里と読めますね。)
元大原宮(咸宜園の廣瀬淡窓先生も塾生とたびたび訪れて漢詩を作ったようです。)
ふるさとに、名も知れずたたずむ、神社やお地蔵さんに手を合わせると、こころが癒されます。それが自然な宗教心であり、信仰ではないでしょうか。東日本大震災そして北部九州大水害で亡くなられた方々のご冥福をこころよりお祈りします。合掌。
標語 「気をつけよう、しつこい勧誘と、布施(献金)強要」 「ちかづくな、怪しげな宗教家」
2013年3月27日水曜日
ふるさと
おはようございます。
都会に住んでいる人は、桜をみるとふるさとを思い出すでしょう。その子供さんたちは、都会に生まれていますが、お正月やお盆に、ご両親と里帰りして、おじいちゃんやおばあちゃんの住んでいるところをふるさとと、イメージしていると思います。
自然にふれたときにふるさとを思い出すでしょう。
路傍の可憐な花
春を待ちわびた水辺の鴨たち
自然に口ずさむ「ふるさと」の歌(作詞高野辰之)
うさぎ追いし かの山
小ぶな釣りし かの川
夢は今も めぐりて
わすれがたき ふるさと
いかにいます 父母
つつがなしや 友がき
雨に風に つけても
思い出ずる ふるさと
志を果たして
いつの日にか 帰らん
山は青き ふるさと
水は清き ふるさと
このような蒸気機関車も、また故郷の風景ですね。日本人がふるさとを失くしたとき、こころのよりどころはどこにあるのでしょう。ただ生産性を追求するばかりが、人間の幸福でないことを感じている人は多いと思います。それぞれの故郷を、この詩を、口ずさみながら懐かしんでください。
あなたも、久ぶりに故郷に帰ってみませんか。
都会に住んでいる人は、桜をみるとふるさとを思い出すでしょう。その子供さんたちは、都会に生まれていますが、お正月やお盆に、ご両親と里帰りして、おじいちゃんやおばあちゃんの住んでいるところをふるさとと、イメージしていると思います。
自然にふれたときにふるさとを思い出すでしょう。
路傍の可憐な花
春を待ちわびた水辺の鴨たち
自然に口ずさむ「ふるさと」の歌(作詞高野辰之)
うさぎ追いし かの山
小ぶな釣りし かの川
夢は今も めぐりて
わすれがたき ふるさと
いかにいます 父母
つつがなしや 友がき
雨に風に つけても
思い出ずる ふるさと
志を果たして
いつの日にか 帰らん
山は青き ふるさと
水は清き ふるさと
あなたも、久ぶりに故郷に帰ってみませんか。
2013年3月26日火曜日
桜とふるさと
おはようございます。
桜が、日本全国満開ですね。ネットで、会津若松鶴ヶ城の八重桜を見ましたが、透き通るようなピンク色で、実物を見たいですね。福島の皆さん、頑張って下さい。
日田市内の大原しだれ桜も今週末までかも。
中ノ島公園の桜は、まだまだいけそうですね。酒を飲むのもいいですが、風情を味わってほしいですね。
桜の季節になると、森山直太朗さんの歌を思い出します。
「僕らは きっと待ってる 君とまた会える日々を
さくら並木の道の上で 手を振り叫ぶよ
どんなに苦しい時でも 君は笑っているから
挫けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ
霞ゆく景色の中で あの日の唄が聴こえる
さくら さくら 今、咲き誇る
刹那に散りゆく運命と知って
さらば友よ 旅立ちの刻 変わらない想いを今」
この「刹那に散りゆく運命と知って」というフレーズがいいですね。でも2番で、「いつか生まれ変わる瞬間を信じ」と歌い、最後に、「永遠にさんざめく光を浴びて」と歌っています。この歌には、生命の躍動感があり、私たちの魂がうちふるえるものがあるから、おそらく永遠に歌いつがれていくと思います。直太朗って天才かも。ユーチューブでまた聴いてみてください。
まさに名曲ですね。この歌を聴いてみなさんは、何を思い出しますか。友人かもしれません。両親かもしれません。やはりふるさとではないでしょうか。桜の季節にあなたのふるさとに帰りませんか。
桜が、日本全国満開ですね。ネットで、会津若松鶴ヶ城の八重桜を見ましたが、透き通るようなピンク色で、実物を見たいですね。福島の皆さん、頑張って下さい。
日田市内の大原しだれ桜も今週末までかも。
中ノ島公園の桜は、まだまだいけそうですね。酒を飲むのもいいですが、風情を味わってほしいですね。
「僕らは きっと待ってる 君とまた会える日々を
さくら並木の道の上で 手を振り叫ぶよ
どんなに苦しい時でも 君は笑っているから
挫けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ
霞ゆく景色の中で あの日の唄が聴こえる
さくら さくら 今、咲き誇る
刹那に散りゆく運命と知って
さらば友よ 旅立ちの刻 変わらない想いを今」
まさに名曲ですね。この歌を聴いてみなさんは、何を思い出しますか。友人かもしれません。両親かもしれません。やはりふるさとではないでしょうか。桜の季節にあなたのふるさとに帰りませんか。
2013年3月25日月曜日
65歳定年制を考えるー終活まえの・・・8ー
おはようございます。
土曜日に、里山づくりをしている吉田忠司さん宅に行きました。里山には、ハナモモテルや桜などのたくさんの広葉樹が植えられていました。春の花々がまっさかりです。
日田市大肥町の春の里山、4月7日まで吉田さんが案内してくれます。
昨日、報道2001で高年齢雇用改正法を取り上げていましたが、団塊後世代からの相談件数は、前年度の3倍になっているそうです。大企業はともかくとして中小企業では、まだまだ65歳定年制への対応ができていないし、個人もよくわかっていないのが現状ではないでしょうか。
今回の法改正では、三つの方法が選べるそうですが、①定年の引き上げ、②継続雇用制度、③定年廃止、ですが、②を選択した場合、これまで通りの給与で働く場合と、給与の減額をとる場合があります。継続雇用は、若年労働者の採用と人件費総額のUPにどう対応していくかが問われます。
今、20代~40代の人も、他山の石ではないのです。あと10年すれば、70歳定年制、20年後には75歳定年制もありうるのです。それは年金支給開始年齢に関係しているからです。また年功序列での給与水準も考えないといけない。子供が大学に行く時期に、厚くすることも必要ですし、そのことは、これまでにも書きましたが、晩婚にも左右されるのです。
さて皆さんは、生き方として、人生設計を若いうちからしていないと、食べていけない時代が来るし、団塊世代のように、ニートを養っていけないのです。それで、提言して、20歳、30歳、40歳、50歳、60歳の時に、人生計画表を作成し検証することをおすすめします。自分の人生は、自分が決めることです。あなたはどのように働き、生きていきますか。
街中の風景、玉川町の桜並木
中野川にたわむれる桜
山田町の田野原公園の桜
「あれを見よ 深山のさくら 咲きにけり まごころつくせ 人知らずとも」
松原泰道先生の「きょうの杖言葉」より。そんな生き方をしたいと思いませんか。
土曜日に、里山づくりをしている吉田忠司さん宅に行きました。里山には、ハナモモテルや桜などのたくさんの広葉樹が植えられていました。春の花々がまっさかりです。
日田市大肥町の春の里山、4月7日まで吉田さんが案内してくれます。
昨日、報道2001で高年齢雇用改正法を取り上げていましたが、団塊後世代からの相談件数は、前年度の3倍になっているそうです。大企業はともかくとして中小企業では、まだまだ65歳定年制への対応ができていないし、個人もよくわかっていないのが現状ではないでしょうか。
今回の法改正では、三つの方法が選べるそうですが、①定年の引き上げ、②継続雇用制度、③定年廃止、ですが、②を選択した場合、これまで通りの給与で働く場合と、給与の減額をとる場合があります。継続雇用は、若年労働者の採用と人件費総額のUPにどう対応していくかが問われます。
今、20代~40代の人も、他山の石ではないのです。あと10年すれば、70歳定年制、20年後には75歳定年制もありうるのです。それは年金支給開始年齢に関係しているからです。また年功序列での給与水準も考えないといけない。子供が大学に行く時期に、厚くすることも必要ですし、そのことは、これまでにも書きましたが、晩婚にも左右されるのです。
さて皆さんは、生き方として、人生設計を若いうちからしていないと、食べていけない時代が来るし、団塊世代のように、ニートを養っていけないのです。それで、提言して、20歳、30歳、40歳、50歳、60歳の時に、人生計画表を作成し検証することをおすすめします。自分の人生は、自分が決めることです。あなたはどのように働き、生きていきますか。
街中の風景、玉川町の桜並木
中野川にたわむれる桜
山田町の田野原公園の桜
「あれを見よ 深山のさくら 咲きにけり まごころつくせ 人知らずとも」
松原泰道先生の「きょうの杖言葉」より。そんな生き方をしたいと思いませんか。
2013年3月22日金曜日
孤独死ー美しすぎる女優達ー
おはようございます。
早朝、座禅を組んでいると、ウグイスが目にはみえませんが、桜を見に来ているのでしょう。「ホーホケキョウ」という鳴き声に、見せられました。西行の「山家集」におさめれている和歌を思い出しました。
「仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば」
昨年7月の北部九州大水害で氾濫した花月川沿いの土手を歩いていくと、久大線の鉄橋の土手にはまだまだ爪痕が残っています。(あの有名な由布院の森号が走る久大線ですが、約一ヶ月余り不通になっていました。この鉄橋まで水がきました。)
右手に、吹上神社があります。この上の台地が昨日書いた重要文化財の吹上遺跡です。
吹上地蔵尊を拝んで、山道を登っていきます。苔の風情がいいでしょ。
吹上神社横の観音堂に、聖観音像(平安時代作)が鎮座しています。日田市内を180度見渡せます。東側から花月川が流れています。今年は、洪水がおきませんようにと祈りました。
花月川につながる吹上川、ここも氾濫しましたが、菜の花が癒してくれます。
さて、今日のテーマは、「孤独死」ですが、某番組が孤独死を取りあげていましたが、バラエティにしてしまったようです。バラエティ番組ですからしかたありませんが、一般の人も死を考えたかもしれませんね。
美しすぎる女優大原麗子さん、飯島愛さん、一人さみしく旅立ちました。わたしの心の友、テレサテンも孤独死だと思います。私は死因をさぐる気持ちは、全くありません。想像すると、一人さみしく死んでいったことは事実なのです。
人は死ぬときは、一人で死ななければなりませんが、孤独死を反対しているのは、人は死ぬ瞬間(意識があるとき)に、すべてを許し、すべてを受けいれ、そして家族の温かい言葉と、握りしめた手のぬくもりを感じたなら、その魂は、微笑んで、安らかに、来世に行くのです。そう信じています。
ところで、今独り暮らしの世帯は、約1588万世帯です。そのうち65歳以上の高齢者が約458万世帯ですが、日田市も限界集落で、ひとり暮らししているおばあちゃんたちがいます。そして都会でも高齢者がいるのですが、いま若い方の一人暮らし(約1000世帯)も多いのです。単身赴任のお父さんもいます。
人間いつかは死にますが、孤独死はかわいそうです。死ぬときは見守られて行きましょう。人の体は、48時間を過ぎるとだんだん腐敗してきます。映画「おくりびと」で見たでしょう。時間が経つと、蛆もわいてくるのです。
また、残された家族や友人たちも、悲しみ、苦しみ、傷つきます。ひとり暮らしは、しかたないところもありますが、毎日、連絡する人を決めておくことが、あなたが倒れたときに、早期に発見され、いのちも救われるかもしれません。そのように愛する人のためにしてくださいね。
早朝、座禅を組んでいると、ウグイスが目にはみえませんが、桜を見に来ているのでしょう。「ホーホケキョウ」という鳴き声に、見せられました。西行の「山家集」におさめれている和歌を思い出しました。
「仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば」
昨年7月の北部九州大水害で氾濫した花月川沿いの土手を歩いていくと、久大線の鉄橋の土手にはまだまだ爪痕が残っています。(あの有名な由布院の森号が走る久大線ですが、約一ヶ月余り不通になっていました。この鉄橋まで水がきました。)
右手に、吹上神社があります。この上の台地が昨日書いた重要文化財の吹上遺跡です。
吹上地蔵尊を拝んで、山道を登っていきます。苔の風情がいいでしょ。
吹上神社横の観音堂に、聖観音像(平安時代作)が鎮座しています。日田市内を180度見渡せます。東側から花月川が流れています。今年は、洪水がおきませんようにと祈りました。
花月川につながる吹上川、ここも氾濫しましたが、菜の花が癒してくれます。
さて、今日のテーマは、「孤独死」ですが、某番組が孤独死を取りあげていましたが、バラエティにしてしまったようです。バラエティ番組ですからしかたありませんが、一般の人も死を考えたかもしれませんね。
美しすぎる女優大原麗子さん、飯島愛さん、一人さみしく旅立ちました。わたしの心の友、テレサテンも孤独死だと思います。私は死因をさぐる気持ちは、全くありません。想像すると、一人さみしく死んでいったことは事実なのです。
人は死ぬときは、一人で死ななければなりませんが、孤独死を反対しているのは、人は死ぬ瞬間(意識があるとき)に、すべてを許し、すべてを受けいれ、そして家族の温かい言葉と、握りしめた手のぬくもりを感じたなら、その魂は、微笑んで、安らかに、来世に行くのです。そう信じています。
ところで、今独り暮らしの世帯は、約1588万世帯です。そのうち65歳以上の高齢者が約458万世帯ですが、日田市も限界集落で、ひとり暮らししているおばあちゃんたちがいます。そして都会でも高齢者がいるのですが、いま若い方の一人暮らし(約1000世帯)も多いのです。単身赴任のお父さんもいます。
人間いつかは死にますが、孤独死はかわいそうです。死ぬときは見守られて行きましょう。人の体は、48時間を過ぎるとだんだん腐敗してきます。映画「おくりびと」で見たでしょう。時間が経つと、蛆もわいてくるのです。
また、残された家族や友人たちも、悲しみ、苦しみ、傷つきます。ひとり暮らしは、しかたないところもありますが、毎日、連絡する人を決めておくことが、あなたが倒れたときに、早期に発見され、いのちも救われるかもしれません。そのように愛する人のためにしてくださいね。
2013年3月21日木曜日
体罰そして本当の教育者は・・・
おはようございます。
昨日来、マスコミで大分市の市立中学校剣道部でのコーチによる体罰の映像が流れています。これは体罰どころか暴力行為であり、指導を逸脱した感情の制御できない大人の暴行事件であります。再三、すべての体罰=暴力を伴った指導は、健全なモティベーションを疎外すると言ってきましたが、大分県内でこのような行為があり、子供達が傷ついていることに、県民として申し訳ないとおもいました。大分県は、咸宜園の廣瀬淡窓先生をはじめ、福沢諭吉先生を輩出し、教育県としての誇りを持っていましたが、結局失墜させたのは事なかれ主義の公務員感覚の教育委員会であり、学校関係者だと思います。
解決策として今後、学校及び教育委員会にこれからお話する人たちを入れてほしいと思います。
昨日、小雨ふる中、大分県日田市の光岡公民館運営委員会主催の光岡史跡探訪菜の花ウォーキングがありましたので参加しました。これには、光岡地区の防犯パトロールや交通安全協会などをはじめ、多くの地区の方々の協力で実施されたのです。この方々こそ、本当の教育者ではないでしょうか。
せっかくですから、コースをたどりながら、公民館に集まり、出発です、まずは岳林寺に向かいました。
後醍醐天皇の九州で唯一の直轄の寺であります岳林寺です。
岳林寺の境内ですが、古刹の雰囲気がいいですね。
岳林寺内の郷土資料館に展示されている釈迦三尊像と達磨像の掛け軸です。
なぜ、後醍醐天皇は、日田に直轄の寺をつくったのでしょうか。後で書きます。
岳林寺をでて、西へと歩いていきますと片山磨崖種子が道路沿いにあります。。種子とは、梵語(サンスクリット語)で「バン」(お釈迦様)と掘っているものです。約700年前に掘られたものです。
星隈神社の134段の階段を上っていきます。ここには、横穴古墳群があります。
星隈神社をおりて、国道386号線を東へと歩いていきますと、日田市埋蔵文化財センターがあります。
日田盆地の北部には、古墳時代初期の環濠集落や豪族居館のあった小迫辻原遺跡、草場遺跡、朝日宮ノ原遺跡、後迫遺跡、吹上遺跡など弥生時代から古墳時代の遺跡が密集しています。
これが、後醍醐天皇が直轄の寺領にした理由があると思っているとわけです。歴史ロモンがあるでしょ。この一帯はすべて、字名は日向(ひむか)名なのです。古代、景行天皇が来られ、ダンワラ遺跡に居をかまえる久津姫にあったことが記述されていますが、景行天皇はなぜ、日田に来たのでしょうか。それはここが先祖の故郷だからです。奈良の明日香村を行ったとき、風景が日田市の吹上、草場、小迫、朝日とにているなとすぐに思いました。
つまり、卑弥呼とは、日向(ひむか)の巫女のことで、女王ですが、日田市のダンワラ遺跡から「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」が出土しています。これは中国の漢時代のもので、国王クラスしか持つことができません。つまり、卑弥呼に送ったものだと思うのです。(東京国立博物館にて保存)
日田盆地の地形は、古事記に書かれていることと一致します。東に天瀬・馬原(高天原)を擁し、太陽がこの地から登り、古代は湿地帯でしたので、葦が生い茂っていた豊ノ葦原なのです。ダンハラ遺跡は東にあり、日隈(アマテラスオオミカミ)、月隈(ツキヨミノミコト)、星隈(スサノウノカミ)の三丘があります。つまり天孫降臨したのです。
そして、卑弥呼と天照大御神は、同一人物と思いませんか。この地から日本国を平定するため、大和に向かうのです。ダンワラ遺跡は、大和朝廷の九州征伐に伴い、消滅し、歴史から姿を消したのです。ですから、卑弥呼の墓は出てきません。日田盆地が邪馬台国であり、大和に移ったのです。
日向、アマテラスオオミカミ、日田、日の丸、日本、すべて日がつくのです。古代に夢をはせながらのウォーキングでした。感謝です。
最後に、光岡駅に、光岡再発見マップの看板があります。これは地元の方々が作ったものです。史跡を子供達に受け継ぎ、残していく地元のおじちゃんやおばちゃんこそ、本当の教育者ではないでしょうか。この人たちを教育委員会に入れないと、庶民感覚、人間の感性が教育に反映されないとおもいませんか。
昨日来、マスコミで大分市の市立中学校剣道部でのコーチによる体罰の映像が流れています。これは体罰どころか暴力行為であり、指導を逸脱した感情の制御できない大人の暴行事件であります。再三、すべての体罰=暴力を伴った指導は、健全なモティベーションを疎外すると言ってきましたが、大分県内でこのような行為があり、子供達が傷ついていることに、県民として申し訳ないとおもいました。大分県は、咸宜園の廣瀬淡窓先生をはじめ、福沢諭吉先生を輩出し、教育県としての誇りを持っていましたが、結局失墜させたのは事なかれ主義の公務員感覚の教育委員会であり、学校関係者だと思います。
解決策として今後、学校及び教育委員会にこれからお話する人たちを入れてほしいと思います。
昨日、小雨ふる中、大分県日田市の光岡公民館運営委員会主催の光岡史跡探訪菜の花ウォーキングがありましたので参加しました。これには、光岡地区の防犯パトロールや交通安全協会などをはじめ、多くの地区の方々の協力で実施されたのです。この方々こそ、本当の教育者ではないでしょうか。
せっかくですから、コースをたどりながら、公民館に集まり、出発です、まずは岳林寺に向かいました。
後醍醐天皇の九州で唯一の直轄の寺であります岳林寺です。
岳林寺の境内ですが、古刹の雰囲気がいいですね。
岳林寺内の郷土資料館に展示されている釈迦三尊像と達磨像の掛け軸です。
なぜ、後醍醐天皇は、日田に直轄の寺をつくったのでしょうか。後で書きます。
岳林寺をでて、西へと歩いていきますと片山磨崖種子が道路沿いにあります。。種子とは、梵語(サンスクリット語)で「バン」(お釈迦様)と掘っているものです。約700年前に掘られたものです。
星隈神社の134段の階段を上っていきます。ここには、横穴古墳群があります。
星隈神社をおりて、国道386号線を東へと歩いていきますと、日田市埋蔵文化財センターがあります。
これが、後醍醐天皇が直轄の寺領にした理由があると思っているとわけです。歴史ロモンがあるでしょ。この一帯はすべて、字名は日向(ひむか)名なのです。古代、景行天皇が来られ、ダンワラ遺跡に居をかまえる久津姫にあったことが記述されていますが、景行天皇はなぜ、日田に来たのでしょうか。それはここが先祖の故郷だからです。奈良の明日香村を行ったとき、風景が日田市の吹上、草場、小迫、朝日とにているなとすぐに思いました。
つまり、卑弥呼とは、日向(ひむか)の巫女のことで、女王ですが、日田市のダンワラ遺跡から「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」が出土しています。これは中国の漢時代のもので、国王クラスしか持つことができません。つまり、卑弥呼に送ったものだと思うのです。(東京国立博物館にて保存)
日田盆地の地形は、古事記に書かれていることと一致します。東に天瀬・馬原(高天原)を擁し、太陽がこの地から登り、古代は湿地帯でしたので、葦が生い茂っていた豊ノ葦原なのです。ダンハラ遺跡は東にあり、日隈(アマテラスオオミカミ)、月隈(ツキヨミノミコト)、星隈(スサノウノカミ)の三丘があります。つまり天孫降臨したのです。
そして、卑弥呼と天照大御神は、同一人物と思いませんか。この地から日本国を平定するため、大和に向かうのです。ダンワラ遺跡は、大和朝廷の九州征伐に伴い、消滅し、歴史から姿を消したのです。ですから、卑弥呼の墓は出てきません。日田盆地が邪馬台国であり、大和に移ったのです。
日向、アマテラスオオミカミ、日田、日の丸、日本、すべて日がつくのです。古代に夢をはせながらのウォーキングでした。感謝です。
最後に、光岡駅に、光岡再発見マップの看板があります。これは地元の方々が作ったものです。史跡を子供達に受け継ぎ、残していく地元のおじちゃんやおばちゃんこそ、本当の教育者ではないでしょうか。この人たちを教育委員会に入れないと、庶民感覚、人間の感性が教育に反映されないとおもいませんか。
2013年3月19日火曜日
ウォークラリーおおやま烏宿山ー終活まえの・・・7ー
おはようございます。
17日、日田おおやま梅まつりの最終日での烏宿山ウォークラリーに参加しました。神秘の霊山、標高約550mの山頂の烏宿(からとまり)神社を目指して出発。
おおやまひびきの郷からおおくぼ台梅園を通り、山道を登ります。竹林がいいですね。
これからが山頂を目指します。
御池が見えてきました。ここで、12月中旬に五穀豊穣と無病息災を願って、「はだか参り」があります。千年続いているそうです。御神水なのだと思います。古代より身を清める意味があります。(はだか参りは、ユーチューブでみれますよ。)
これからは神域、さらに小路を登っていきます。スジダイ、タブノキ、ウロジロガシ、アカマツ、イチイガシなどの自然林のなかの小路です。
展望台があり、大山ダムがみえます。この日、大山ダム完成記念式典がありました。
山頂の烏宿神社です。785年に役のお角が英彦山からこの地をおとづれ、霊妙あらたなるところから、神山霊場としたそうです。
往復、約8キロあり、日頃歩いていないとしんどいですが、山頂近くまでは車で行けます。自然林のなかを歩くと、からだもこころも癒されます。まさに神はすべてを与えていると思います。感謝です。
ところで、今日は「終活まえの生き方そして働き方」7として「こころ」について書きます。イエスキリストも釈迦仏陀も「こころ」について説いているのです。仏教ではそれが引き継がれて「般若心経」で説かれています。昨今では、こころの重要性を明確に説いたのが中村天風氏であり、フロイトやユングの潜在意識を実用化したのがポールJマイヤー氏です。すべては「心構え」であるとプログラム化しました。
こころのあり方が、現実世界をすべて左右するのです。あなたのこころがうちひしがれているとしたら、ますます現実は、悪化していきます。たとえ苦難や災難があっても、こころを前向きに、明るく強くしていけば好転する経験をした人も少なくないと思います。
大津秀一先生の「死ぬときに後悔すること25」で、生と死の問題を乗り越えられなかったことと神仏の教えを知らなかったことがでてきます。先日、クリント・イーストウッド監督の「ヒアアフター」というDVDを見ましたが、2010年に公開されたもので、東南アジアで津波に巻き込まれます。東日本大震災を思い出すのでつらいかもしれません。ヒアアフターとは「来世」という意味です。一度見てください。考えさせられると思いますよ。
宗教の基本は、こころあるいは魂を正常・静寂にするものです。死にいたるとき、あなたのこころが落ちついていれば、必ず天国にいくのです。来世があり、そこは安らぎの場所であるなら、死をおそろしいものでなないでしょう。本当の宗教は、団体でもないし、お金で買えないものであり、人に強要するものでもないのです。気をつけよう!しつこい勧誘とマインドコントロール。
今を前向きに、明るく、元気に生きているなら、来世もまた喜びに変わるでしょう。もし、後ろ向きに、人をねたんだり、恨んだり、不平不満たらたらで死んでいくなら、こころが来世を決めていると思いませんか。
世界で、もっとも死ぬのが怖いと思っている国民は日本人だそうです。今、生きているときに、終活まえに、生と死の問題や宗教について学び考えるべきではないでしょうか。インドでは、生れ育ち(学生期)、家族が一人前に育ったら(家住期)、林棲期と言って、自然の中で、人生を考えます。そして遊行期を迎えるそうです。人生は働くことばかりではないのです。
いわゆる「終活」も人生のなかで与えられた最高の活動ではないでしょうか。あなたも烏宿自然林に行ってみませんか。そこは日本全国にあります。何かを感じると思います。明日は、光岡史跡探訪菜の花ウォーキングに参加します。21日に書きます。乞うご期待。
17日、日田おおやま梅まつりの最終日での烏宿山ウォークラリーに参加しました。神秘の霊山、標高約550mの山頂の烏宿(からとまり)神社を目指して出発。
おおやまひびきの郷からおおくぼ台梅園を通り、山道を登ります。竹林がいいですね。
これからが山頂を目指します。
御池が見えてきました。ここで、12月中旬に五穀豊穣と無病息災を願って、「はだか参り」があります。千年続いているそうです。御神水なのだと思います。古代より身を清める意味があります。(はだか参りは、ユーチューブでみれますよ。)
これからは神域、さらに小路を登っていきます。スジダイ、タブノキ、ウロジロガシ、アカマツ、イチイガシなどの自然林のなかの小路です。
展望台があり、大山ダムがみえます。この日、大山ダム完成記念式典がありました。
山頂の烏宿神社です。785年に役のお角が英彦山からこの地をおとづれ、霊妙あらたなるところから、神山霊場としたそうです。
往復、約8キロあり、日頃歩いていないとしんどいですが、山頂近くまでは車で行けます。自然林のなかを歩くと、からだもこころも癒されます。まさに神はすべてを与えていると思います。感謝です。
ところで、今日は「終活まえの生き方そして働き方」7として「こころ」について書きます。イエスキリストも釈迦仏陀も「こころ」について説いているのです。仏教ではそれが引き継がれて「般若心経」で説かれています。昨今では、こころの重要性を明確に説いたのが中村天風氏であり、フロイトやユングの潜在意識を実用化したのがポールJマイヤー氏です。すべては「心構え」であるとプログラム化しました。
こころのあり方が、現実世界をすべて左右するのです。あなたのこころがうちひしがれているとしたら、ますます現実は、悪化していきます。たとえ苦難や災難があっても、こころを前向きに、明るく強くしていけば好転する経験をした人も少なくないと思います。
大津秀一先生の「死ぬときに後悔すること25」で、生と死の問題を乗り越えられなかったことと神仏の教えを知らなかったことがでてきます。先日、クリント・イーストウッド監督の「ヒアアフター」というDVDを見ましたが、2010年に公開されたもので、東南アジアで津波に巻き込まれます。東日本大震災を思い出すのでつらいかもしれません。ヒアアフターとは「来世」という意味です。一度見てください。考えさせられると思いますよ。
宗教の基本は、こころあるいは魂を正常・静寂にするものです。死にいたるとき、あなたのこころが落ちついていれば、必ず天国にいくのです。来世があり、そこは安らぎの場所であるなら、死をおそろしいものでなないでしょう。本当の宗教は、団体でもないし、お金で買えないものであり、人に強要するものでもないのです。気をつけよう!しつこい勧誘とマインドコントロール。
今を前向きに、明るく、元気に生きているなら、来世もまた喜びに変わるでしょう。もし、後ろ向きに、人をねたんだり、恨んだり、不平不満たらたらで死んでいくなら、こころが来世を決めていると思いませんか。
世界で、もっとも死ぬのが怖いと思っている国民は日本人だそうです。今、生きているときに、終活まえに、生と死の問題や宗教について学び考えるべきではないでしょうか。インドでは、生れ育ち(学生期)、家族が一人前に育ったら(家住期)、林棲期と言って、自然の中で、人生を考えます。そして遊行期を迎えるそうです。人生は働くことばかりではないのです。
いわゆる「終活」も人生のなかで与えられた最高の活動ではないでしょうか。あなたも烏宿自然林に行ってみませんか。そこは日本全国にあります。何かを感じると思います。明日は、光岡史跡探訪菜の花ウォーキングに参加します。21日に書きます。乞うご期待。
2013年3月18日月曜日
キャンディーズのスーちゃんー終活まえの・・・6ー
おはようございます。
15日に、日田市求来里の慈悲観音像そばの「観音桜」(河津桜)を見に行きました。満開で、見頃です。
観音桜を見ていたら、キャンディーズの「春一番」とスーちゃんを思いだしました。
「春一番」 作詞穂口雄右
「雪がとけて 川になって 流れていきます
つくしの子が恥ずかしげに 顔をだします
もうすぐ 春ですね
ちょっと気取ってみませんか」
メロディが流れてきて口ずさむことができる人は、ほんもののファンです。自民党の総裁選のさなか、安倍総理と石破幹事長が、電車の中で、キャンディーズのファンで意気投合し盛り上がったと、世耕さんがTV番組でばらしていましたが、多くのファンを引きつけた3人組であります。アベノミクスもこの調子で、景気を盛り上げましょう。
悲しい出来事でしたが、田中好子さんことスーちゃんが長い闘病生活の末、一昨年亡くなりました。その時の最後の言葉が、「津波で亡くなった人たちのことを思うと肝がつぶれそうです。私はもう頑張りきれないかもしれない。だから私は、天国で復活して、津波の人たちを支えたい」とのことです。涙が出ますね。昨日の「とんび」もよかったですね。涙を誘う番組でした。
素晴らしい心境の中で息を引き取ったのです。スーちゃんは慈悲観音になったと思います。この求来里の慈悲観音は、明治の初め、農民一揆で身代わりに処刑された石工の求来里喜平をまつり供養しているそうです。地元の農家の方が、自費でまかなっているのです。
ところで、「終活まえの生き方そして働き方」で学習・教養面のことを書きましたら、57歳の方から質問が来ていて、我々の年代はどのような本を読んだらいいでしょうかとのことでした。経営者なら「ドラッカー」を読み込んではどうでしょうか。また、中野孝次先生の「清貧の思想」や中村天風先生の「天風瞑想録」をじっくり読むと人生観が問われてくると思います。私が十年来チャレンジしているのは道元さんの「正法眼蔵」ですが、一生かかるかも。
スタンフォード大学にいて、現在福岡女子大学の准教授をされている和栗百恵さんの和栗式「体験学習」が高く評価され注目されていますが、「ふりかえり」というミーティングがあり、「なぜ、なぜ、なぜ」と質問が飛んできます。考える思考がついてくるのです。社員教育で問題は、社員が受け身になっているので、考えることをしないため伸びないのです。
私たちも忙しさにかまけて、人生を「なぜ」と問いかけていないのではないでしょうか。還暦まじかになって来たら、生き方そして働き方に、「なぜ」と自問自答してほしいと思います。そうすると終活にはいったときに、「死に方」が見えてくると思います。
大山町のこのはなガルデンの桜も、もうすぐ春です。
終活まえの趣味と社会活動ですが、退職して趣味の無い人はみじめだそうです。趣味は聞くと、すぐに出てこない人が多いのですが、ゴルフという人もいます。釣りという人もいます。なんであっても50代から趣味を持って欲しいと思います。温泉巡りという人もいました。いいですね。
私は、史跡めぐりで、最後の社員旅行も、奈良の明日香から、東大寺や京都の南善院など回らせてもらいました。地元の大分県の神社仏閣などの史跡もすごいですよ。たとえば国東半島の冨貴寺や両子寺などもどうしてここにあるのという感じですね。それと自然散策ですが、九重などトレッキングすると生命力がわいてきます。今は、歴史女子や仏教女子(丸の内女子会など)と言われる若い女性で、このような趣味を持っている方が増えているそうです。
社会活動も大事です。お金があっても、お友達のいない人生はさみしいですよ。お金がなくても、お友達がいれば救われます。日田市でも、まちづくり団体が約130団体あります。改めて、市報や地元新聞を見ていると、いろんな催しが開催されていますので、首を突っ込むことです。日田市の咸宜園世界教育遺産登録運動なども面白いし、大分県ウォーキング教会のおおいた遺産ウォーキングも健康にも、自然や地元の歴史を知ることができます。掃除に学ぶ会などは、健康とボランティアをかねていて、いいですよ。最近、ブログとフェイスブックに目覚めました。これも趣味かも。
終活まえに、自分にあった趣味や社会活動を見つけ、少しづつ参加してみませんか。ひとりでできるのは、読書と、山に行って車の中で座禅を組んで、自然の声を聞きながら瞑想する趣味もあります。明日は、こころと精神について書きますので、乞うご期待。
15日に、日田市求来里の慈悲観音像そばの「観音桜」(河津桜)を見に行きました。満開で、見頃です。
観音桜を見ていたら、キャンディーズの「春一番」とスーちゃんを思いだしました。
「春一番」 作詞穂口雄右
「雪がとけて 川になって 流れていきます
つくしの子が恥ずかしげに 顔をだします
もうすぐ 春ですね
ちょっと気取ってみませんか」
メロディが流れてきて口ずさむことができる人は、ほんもののファンです。自民党の総裁選のさなか、安倍総理と石破幹事長が、電車の中で、キャンディーズのファンで意気投合し盛り上がったと、世耕さんがTV番組でばらしていましたが、多くのファンを引きつけた3人組であります。アベノミクスもこの調子で、景気を盛り上げましょう。
悲しい出来事でしたが、田中好子さんことスーちゃんが長い闘病生活の末、一昨年亡くなりました。その時の最後の言葉が、「津波で亡くなった人たちのことを思うと肝がつぶれそうです。私はもう頑張りきれないかもしれない。だから私は、天国で復活して、津波の人たちを支えたい」とのことです。涙が出ますね。昨日の「とんび」もよかったですね。涙を誘う番組でした。
素晴らしい心境の中で息を引き取ったのです。スーちゃんは慈悲観音になったと思います。この求来里の慈悲観音は、明治の初め、農民一揆で身代わりに処刑された石工の求来里喜平をまつり供養しているそうです。地元の農家の方が、自費でまかなっているのです。
ところで、「終活まえの生き方そして働き方」で学習・教養面のことを書きましたら、57歳の方から質問が来ていて、我々の年代はどのような本を読んだらいいでしょうかとのことでした。経営者なら「ドラッカー」を読み込んではどうでしょうか。また、中野孝次先生の「清貧の思想」や中村天風先生の「天風瞑想録」をじっくり読むと人生観が問われてくると思います。私が十年来チャレンジしているのは道元さんの「正法眼蔵」ですが、一生かかるかも。
スタンフォード大学にいて、現在福岡女子大学の准教授をされている和栗百恵さんの和栗式「体験学習」が高く評価され注目されていますが、「ふりかえり」というミーティングがあり、「なぜ、なぜ、なぜ」と質問が飛んできます。考える思考がついてくるのです。社員教育で問題は、社員が受け身になっているので、考えることをしないため伸びないのです。
私たちも忙しさにかまけて、人生を「なぜ」と問いかけていないのではないでしょうか。還暦まじかになって来たら、生き方そして働き方に、「なぜ」と自問自答してほしいと思います。そうすると終活にはいったときに、「死に方」が見えてくると思います。
大山町のこのはなガルデンの桜も、もうすぐ春です。
終活まえの趣味と社会活動ですが、退職して趣味の無い人はみじめだそうです。趣味は聞くと、すぐに出てこない人が多いのですが、ゴルフという人もいます。釣りという人もいます。なんであっても50代から趣味を持って欲しいと思います。温泉巡りという人もいました。いいですね。
私は、史跡めぐりで、最後の社員旅行も、奈良の明日香から、東大寺や京都の南善院など回らせてもらいました。地元の大分県の神社仏閣などの史跡もすごいですよ。たとえば国東半島の冨貴寺や両子寺などもどうしてここにあるのという感じですね。それと自然散策ですが、九重などトレッキングすると生命力がわいてきます。今は、歴史女子や仏教女子(丸の内女子会など)と言われる若い女性で、このような趣味を持っている方が増えているそうです。
社会活動も大事です。お金があっても、お友達のいない人生はさみしいですよ。お金がなくても、お友達がいれば救われます。日田市でも、まちづくり団体が約130団体あります。改めて、市報や地元新聞を見ていると、いろんな催しが開催されていますので、首を突っ込むことです。日田市の咸宜園世界教育遺産登録運動なども面白いし、大分県ウォーキング教会のおおいた遺産ウォーキングも健康にも、自然や地元の歴史を知ることができます。掃除に学ぶ会などは、健康とボランティアをかねていて、いいですよ。最近、ブログとフェイスブックに目覚めました。これも趣味かも。
終活まえに、自分にあった趣味や社会活動を見つけ、少しづつ参加してみませんか。ひとりでできるのは、読書と、山に行って車の中で座禅を組んで、自然の声を聞きながら瞑想する趣味もあります。明日は、こころと精神について書きますので、乞うご期待。
2013年3月15日金曜日
終活まえの生き方そして働き方5
おはようございます。
20代の人、30代の人、40代の人、50代の人、節目に人生の棚卸しをしてみませんか。いつお迎えが来るか誰もわかりません。あなたが今健康でも不慮の事故に逢うかもしれませんし、夏目雅子さんや金子哲雄さんのように突然、難病に襲われることもあるのです。
人生の終末であれをしておけばよかった。これをしておけばよかったと思わないために、自分の人生を見つめるために人生の棚卸しが必要なのです。そのときに、こんな勉強をしたいとか、こんな資格を身につけたいとか思うはずです。
学生時代にしても、どんな本を読んでいたかで、その人の教養は自然に出てきます。私たちが学生の頃は、夏目漱石や芥川龍之介から大江健三郎や三島由紀夫、そして五木寛之を読んでいましたね。それを語りあっていたから読んでないと恥ずかしいですよね。
私の本の原体験は、山本有三の「路傍の石」で、先生が「吾一という名前は、われひとりだよ」と言うフレーズが忘れられません。テレビ時代になり下村胡人の「次郎物語」をいつもみていました。小学5年生の時の江藤先生が、本を読むと何より勉強になるよと教えていただき、中学校の図書館の本を全部読む目標を立てたことが思い出されます。
大山町の梅まつりより
さて、「終活まえの生き方そして働き方」の今日のテーマは、学習・教養面ですが、別に終活のまえではなく、仕事をする上においても学習することが最も大事なことなのです。現場での学習には限りがありますので、セミナーなど参加しておられる方もいますね。
一言言っておきますが、60歳まで生きてきて、自己投資をせずに、会社の金でセミナー受講やプログラム(書籍)を買って、活用している人をみたことがありません。むかしSMIプログラムという高額な自己啓発・成功哲学・成功のノウハウのプログラムが買いたいが、お金がなくて、酒とタバコを止めて、その分でローンで買い、その地区では一番の保険代理店にした青年がいましたが、これが本当の姿です。自分のお金で勉強しなさい。
今は、知識を得ようと思えば、インターネットで即座にアクセスでき、また電子書籍ですぐに本を読むこともできます。しかしどのような情報や知識を得たかが、あなたの将来を左右するのです。ビジネスマンに読んでもらいたい本は、稲盛和夫著「成功への情熱」「稲盛和夫の哲学」「生き方」「働き方」と中村天風著「幸福なる人生」、そして大前研一著「ザプロフェッショナル」、柳井正著「一勝九敗」ですね。
実は本が勉強する道具で一番良いのですが、大きく二つあると思っています。一つは、古典的な変わらない原理原則を言っているもの、たとえば「聖書」や「仏典」です。もう一つは時代の変化に対応した本です。これは出版会社が、新書版で出しているものです。アマゾンなどで調べると一部内容が見れてますので、今のあなた必要な本を買って読むことです。仕事上のヒントが盛りだくさんです。あなたが勉強もせずに仕事をしているとしたら、人間の脳はインプットしなければアウトプットできませんから、あなたの仕事は堂々巡りの進歩のないものになっているのです。
資格ですが、私は営業の仕事をしていましたので、まず20代で販売士の資格を取りました。そして中小企業診断士の通信教育を受けまして、経営労働コンサルタントの資格を取りました。経理部に換わって、経理や財務の本を買って読みました。今、終活カウンセラーの資格を取る準備をしています。また退職後、今月で東京国際仏教塾の全課程を修了しました。
それはすべて、学習・教養面の目標を持って、計画を立て、実行したからです。誰でもできるし、まずは自分のため、次に勉強したことは、世のため、人のためになるように使うのです。自利利他とも言いますし、自他利行なのです。自分を磨くことは、ひとのためになるのです。
ましてや、60歳近くになっている人は、現役70歳時代にどう対応するのですか、あるいは退職して何をするのですか、することがなくなったら、人間のいのちはちじんでいくのです。以前、東京都の校長先生の退職後の寿命が2年7か月という話がありましたが、さもあらんやと思っています。
まず定年を意識したら、人生の棚卸しとお片づけをして、第二の人生設計をするのです。
熊本市での「終活フェア」の小生の顔です。皆さんの早かれ遅かれこうなりますよ。だから悔いのない人生をおくりましょう。
60代、70代、80代そして100歳まで楽しく、健康で生きている方を多く見かけるようになりました。選ぶのはあなたです。「90になって迎えが来たら、100まで待て」と追い返せと言う言葉もあります。人生遅すぎることもないのです。柴田トヨさんは90歳から詩を書き始めました。最高の生き方、死に方で、あちらでも満足していると思います。
ところで死んだら何もなくなるなんて思っている人はまさに勉強していませんね。今は科学的に「臨死体験」(立花隆著)などで実証されているのです。浅薄な宗教にだまされないようにしましょう。宗教法人を名乗っているものだけが宗教団体ではありません。社団法人を名乗ったり、健康関連会社であったりするのです。
見抜く方法は、過度の勧誘をする団体などには気をつけましょう。手法は振込み詐欺と一緒で、カネを要求しますが最初は少ないので気づかないのです。本物は、すすめなくてもわかるし、本物の人は所作にでているし、その人の家庭や会社をみればすぐわかります。老後の資金を騙しとれないようにしましょう。来週は社会生活面と、こころ・精神面を書きます。乞うご期待。
20代の人、30代の人、40代の人、50代の人、節目に人生の棚卸しをしてみませんか。いつお迎えが来るか誰もわかりません。あなたが今健康でも不慮の事故に逢うかもしれませんし、夏目雅子さんや金子哲雄さんのように突然、難病に襲われることもあるのです。
人生の終末であれをしておけばよかった。これをしておけばよかったと思わないために、自分の人生を見つめるために人生の棚卸しが必要なのです。そのときに、こんな勉強をしたいとか、こんな資格を身につけたいとか思うはずです。
学生時代にしても、どんな本を読んでいたかで、その人の教養は自然に出てきます。私たちが学生の頃は、夏目漱石や芥川龍之介から大江健三郎や三島由紀夫、そして五木寛之を読んでいましたね。それを語りあっていたから読んでないと恥ずかしいですよね。
私の本の原体験は、山本有三の「路傍の石」で、先生が「吾一という名前は、われひとりだよ」と言うフレーズが忘れられません。テレビ時代になり下村胡人の「次郎物語」をいつもみていました。小学5年生の時の江藤先生が、本を読むと何より勉強になるよと教えていただき、中学校の図書館の本を全部読む目標を立てたことが思い出されます。
大山町の梅まつりより
さて、「終活まえの生き方そして働き方」の今日のテーマは、学習・教養面ですが、別に終活のまえではなく、仕事をする上においても学習することが最も大事なことなのです。現場での学習には限りがありますので、セミナーなど参加しておられる方もいますね。
一言言っておきますが、60歳まで生きてきて、自己投資をせずに、会社の金でセミナー受講やプログラム(書籍)を買って、活用している人をみたことがありません。むかしSMIプログラムという高額な自己啓発・成功哲学・成功のノウハウのプログラムが買いたいが、お金がなくて、酒とタバコを止めて、その分でローンで買い、その地区では一番の保険代理店にした青年がいましたが、これが本当の姿です。自分のお金で勉強しなさい。
今は、知識を得ようと思えば、インターネットで即座にアクセスでき、また電子書籍ですぐに本を読むこともできます。しかしどのような情報や知識を得たかが、あなたの将来を左右するのです。ビジネスマンに読んでもらいたい本は、稲盛和夫著「成功への情熱」「稲盛和夫の哲学」「生き方」「働き方」と中村天風著「幸福なる人生」、そして大前研一著「ザプロフェッショナル」、柳井正著「一勝九敗」ですね。
実は本が勉強する道具で一番良いのですが、大きく二つあると思っています。一つは、古典的な変わらない原理原則を言っているもの、たとえば「聖書」や「仏典」です。もう一つは時代の変化に対応した本です。これは出版会社が、新書版で出しているものです。アマゾンなどで調べると一部内容が見れてますので、今のあなた必要な本を買って読むことです。仕事上のヒントが盛りだくさんです。あなたが勉強もせずに仕事をしているとしたら、人間の脳はインプットしなければアウトプットできませんから、あなたの仕事は堂々巡りの進歩のないものになっているのです。
資格ですが、私は営業の仕事をしていましたので、まず20代で販売士の資格を取りました。そして中小企業診断士の通信教育を受けまして、経営労働コンサルタントの資格を取りました。経理部に換わって、経理や財務の本を買って読みました。今、終活カウンセラーの資格を取る準備をしています。また退職後、今月で東京国際仏教塾の全課程を修了しました。
それはすべて、学習・教養面の目標を持って、計画を立て、実行したからです。誰でもできるし、まずは自分のため、次に勉強したことは、世のため、人のためになるように使うのです。自利利他とも言いますし、自他利行なのです。自分を磨くことは、ひとのためになるのです。
ましてや、60歳近くになっている人は、現役70歳時代にどう対応するのですか、あるいは退職して何をするのですか、することがなくなったら、人間のいのちはちじんでいくのです。以前、東京都の校長先生の退職後の寿命が2年7か月という話がありましたが、さもあらんやと思っています。
まず定年を意識したら、人生の棚卸しとお片づけをして、第二の人生設計をするのです。
熊本市での「終活フェア」の小生の顔です。皆さんの早かれ遅かれこうなりますよ。だから悔いのない人生をおくりましょう。
ところで死んだら何もなくなるなんて思っている人はまさに勉強していませんね。今は科学的に「臨死体験」(立花隆著)などで実証されているのです。浅薄な宗教にだまされないようにしましょう。宗教法人を名乗っているものだけが宗教団体ではありません。社団法人を名乗ったり、健康関連会社であったりするのです。
見抜く方法は、過度の勧誘をする団体などには気をつけましょう。手法は振込み詐欺と一緒で、カネを要求しますが最初は少ないので気づかないのです。本物は、すすめなくてもわかるし、本物の人は所作にでているし、その人の家庭や会社をみればすぐわかります。老後の資金を騙しとれないようにしましょう。来週は社会生活面と、こころ・精神面を書きます。乞うご期待。
2013年3月14日木曜日
終活まえの生き方そして働き方4
おはようございます。
昨日、健康について書きましたが、いつまでたっても、タバコをやめない人がいますが、死にいたる病にかかり、後悔するのがタバコなのである。医者からあれほど注意したではないかといわれるのであります。百害あって一利無し。次に大酒のみ、石原裕次郎も中村勘三郎もしかりである。
タバコを吸う人に、もういいかげん、やめたらというと、こころが落ち着くとか、ストレスの解消になるとか、頭がさえるとか、自分なりの言い訳をするが、所詮、麻薬患者とさして変わらないのであります。大学病院の呼吸器科病棟に言って、看護師を呼び止めて、患者がなぜ喉頭を取り除いているか聞いてみてはどうでしょうか。自分だけのために生きているなら、タバコを十数年分持って無人島に行けばよいと思います。あなたのいのちは、あなただけものではないのです。
おおやま梅まつり(日田市大山町おおくぼ台にて)
昨年、流通ジャーナリストの金子哲雄さんが41歳で亡くなりました。彼は最後まで、仕事に全力投球し、奥さんを愛して、旅立ったのです。彼の著書「僕の死に方エンディングダイアリー500日」より
「正直、自分がなぜこんな目にあわなくちゃならないんだと、運命を呪ったことも何度かある。なんで、自分なんだ。「なんで、治らない病気にかかるんだよ。仕事も順調なのに、なんで、人生のチャンスをもらえないんだ。なんで、すぐ死んじゃうんだよ。なんで、死ななくちゃいけないんだ。俺。なんか悪いことしたか。ねえ、俺が悪いのか?」妻に何度もそう言ってみたが、でも、言葉に出すだけで虚しいことは、自分が一番よくわかっていた。」
私の友人は、3年前に突然、57歳で亡くなった。彼は感性が素晴らしいし、事業家としてもチャレンジ精神を持っていた。でも私には彼の事業欲が死に至らしめたと思えてなりません。人間は好きで滅びるのです。タバコが好きな人はタバコで滅び、酒の好きな人は酒で滅び、仕事の好きな人は仕事で滅びるのです。仕事もなんぼしてもよいが、知足少欲を忘れては死にいたるのです。
42歳の厄年を信じない人がいますが、人間の体の細胞が7年ごとに生れ変っていることはご存じだと思います。気をつけるのは、7歳、14歳、21歳、28歳、35歳、42歳、49歳、56歳、63歳、70歳、77歳、84歳、91歳、98歳の前後三年です。人生には節目があるのです。この節目の時期に無理をしてはいけないのです。
ひたおひなまつりにて
お父ちゃんは、家族のために一生懸命働いて、マイホームをつくり、家族を養い、子供を大学にやり、老後を迎える。そして、定年退職のその日に、奥さんがそっと離婚届を出す。そんな家庭が増えているそうです。
お父ちゃんは、だれのおかげで食べていけるのかとか、だれのおかげで学校にいけるのかと心に思ったり、時々口にしたことがあった。
家族とは、だれのおかげだというものではないです。それぞれが居て、やすらぎがあり、わごみがあり、父ちゃんの体の心配をしてくれるのは奥さんと子供さんだけです。子供がいじめを受けていたら、助けるのはお父ちゃんとお母ちゃんです。それぞれが助け合って生きているのです。居てくれるだけで癒されるのです。
だれのために働くのか、だれのために仕事を頑張れるのか、それはあなたのたいせつな愛する家族のためです。それ以外のなにものでもないのです。当然、そこにはおじいちゃんやおばあちゃんもいるのです。
家族・家庭の幸せなくして、何があるというのでしょうか。若くして旅立った金子さんも友人も、家族がこまらないように、経済的なものも、のこして旅立ちました。そして二人とも家族をいちばん愛していました。
長崎が生んだイケメンのソングライターの福山雅治さんの「家族になろうよ」をくちづさんでください。
「家族になろうよ」 作詞・作曲 福山雅治
「100年経っても好きでいてね」
みんなの前で困らせたり
それでも隣で笑ってくれて
選んでくれてありがとう
どれほど深く信じ合っても
わからないこともあるでしょう
その孤独と寄り添い生きることが
「愛する」ということかもしれないから
いつかお父さんみたいに大きな背中で
いつかお母さんみたいに静かな優しさで
どんなことでも越えてゆける
家族になろうよ
中略
あなたとなら生きてゆける
しあわせになろうよ
いいですね。結婚式で聞きたいですね。それでは、「終活まえの生き方そして働き方」の家庭・家族面の私の行動計画は、
1、家族に「ありがとう」と言って、感謝を伝える。
2、家族に自分から「おはよう」「おかえり」など声をかける。
3、家族と朝食・夕食をとる。
4、家族で月に一回はレストランに行く。
5、お袋に週2回、顔を出す。
6、年に一回は妻と旅行に行く。
7、そろそろ家族のためにエンディングノートを書いておこう。
番外 トイレとお風呂掃除は引き受ける。それに洗濯物を入れるかな。
ですが、6番目ができていないので、反省反省。7番目は皆さんにもこれからおすすめしますが、まずは人生の棚卸しをしてみませんか。私は還暦の時に著書「生きる」のなかで書いてみました。(HPから読めます。)それでは今日の一言「いつまでもあると思うな 親と、おまえのいのち」でどうでしょうか。明日は、終活まえの勉強や学習について書きますので乞うご期待。
昨日、健康について書きましたが、いつまでたっても、タバコをやめない人がいますが、死にいたる病にかかり、後悔するのがタバコなのである。医者からあれほど注意したではないかといわれるのであります。百害あって一利無し。次に大酒のみ、石原裕次郎も中村勘三郎もしかりである。
タバコを吸う人に、もういいかげん、やめたらというと、こころが落ち着くとか、ストレスの解消になるとか、頭がさえるとか、自分なりの言い訳をするが、所詮、麻薬患者とさして変わらないのであります。大学病院の呼吸器科病棟に言って、看護師を呼び止めて、患者がなぜ喉頭を取り除いているか聞いてみてはどうでしょうか。自分だけのために生きているなら、タバコを十数年分持って無人島に行けばよいと思います。あなたのいのちは、あなただけものではないのです。
おおやま梅まつり(日田市大山町おおくぼ台にて)
昨年、流通ジャーナリストの金子哲雄さんが41歳で亡くなりました。彼は最後まで、仕事に全力投球し、奥さんを愛して、旅立ったのです。彼の著書「僕の死に方エンディングダイアリー500日」より
「正直、自分がなぜこんな目にあわなくちゃならないんだと、運命を呪ったことも何度かある。なんで、自分なんだ。「なんで、治らない病気にかかるんだよ。仕事も順調なのに、なんで、人生のチャンスをもらえないんだ。なんで、すぐ死んじゃうんだよ。なんで、死ななくちゃいけないんだ。俺。なんか悪いことしたか。ねえ、俺が悪いのか?」妻に何度もそう言ってみたが、でも、言葉に出すだけで虚しいことは、自分が一番よくわかっていた。」
私の友人は、3年前に突然、57歳で亡くなった。彼は感性が素晴らしいし、事業家としてもチャレンジ精神を持っていた。でも私には彼の事業欲が死に至らしめたと思えてなりません。人間は好きで滅びるのです。タバコが好きな人はタバコで滅び、酒の好きな人は酒で滅び、仕事の好きな人は仕事で滅びるのです。仕事もなんぼしてもよいが、知足少欲を忘れては死にいたるのです。
42歳の厄年を信じない人がいますが、人間の体の細胞が7年ごとに生れ変っていることはご存じだと思います。気をつけるのは、7歳、14歳、21歳、28歳、35歳、42歳、49歳、56歳、63歳、70歳、77歳、84歳、91歳、98歳の前後三年です。人生には節目があるのです。この節目の時期に無理をしてはいけないのです。
ひたおひなまつりにて
お父ちゃんは、家族のために一生懸命働いて、マイホームをつくり、家族を養い、子供を大学にやり、老後を迎える。そして、定年退職のその日に、奥さんがそっと離婚届を出す。そんな家庭が増えているそうです。
お父ちゃんは、だれのおかげで食べていけるのかとか、だれのおかげで学校にいけるのかと心に思ったり、時々口にしたことがあった。
家族とは、だれのおかげだというものではないです。それぞれが居て、やすらぎがあり、わごみがあり、父ちゃんの体の心配をしてくれるのは奥さんと子供さんだけです。子供がいじめを受けていたら、助けるのはお父ちゃんとお母ちゃんです。それぞれが助け合って生きているのです。居てくれるだけで癒されるのです。
だれのために働くのか、だれのために仕事を頑張れるのか、それはあなたのたいせつな愛する家族のためです。それ以外のなにものでもないのです。当然、そこにはおじいちゃんやおばあちゃんもいるのです。
家族・家庭の幸せなくして、何があるというのでしょうか。若くして旅立った金子さんも友人も、家族がこまらないように、経済的なものも、のこして旅立ちました。そして二人とも家族をいちばん愛していました。
長崎が生んだイケメンのソングライターの福山雅治さんの「家族になろうよ」をくちづさんでください。
「家族になろうよ」 作詞・作曲 福山雅治
「100年経っても好きでいてね」
みんなの前で困らせたり
それでも隣で笑ってくれて
選んでくれてありがとう
どれほど深く信じ合っても
わからないこともあるでしょう
その孤独と寄り添い生きることが
「愛する」ということかもしれないから
いつかお父さんみたいに大きな背中で
いつかお母さんみたいに静かな優しさで
どんなことでも越えてゆける
家族になろうよ
中略
あなたとなら生きてゆける
しあわせになろうよ
いいですね。結婚式で聞きたいですね。それでは、「終活まえの生き方そして働き方」の家庭・家族面の私の行動計画は、
1、家族に「ありがとう」と言って、感謝を伝える。
2、家族に自分から「おはよう」「おかえり」など声をかける。
3、家族と朝食・夕食をとる。
4、家族で月に一回はレストランに行く。
5、お袋に週2回、顔を出す。
6、年に一回は妻と旅行に行く。
7、そろそろ家族のためにエンディングノートを書いておこう。
番外 トイレとお風呂掃除は引き受ける。それに洗濯物を入れるかな。
ですが、6番目ができていないので、反省反省。7番目は皆さんにもこれからおすすめしますが、まずは人生の棚卸しをしてみませんか。私は還暦の時に著書「生きる」のなかで書いてみました。(HPから読めます。)それでは今日の一言「いつまでもあると思うな 親と、おまえのいのち」でどうでしょうか。明日は、終活まえの勉強や学習について書きますので乞うご期待。
2013年3月13日水曜日
終活まえの生き方そして働き方3
おはようございます。
昨日、くまもと県民葬祭主催、熊本日日新聞社などの後援の「終活フェア・講演会」に熊本市まで行って来ました。講演会が午前と午後の2回にわたってあったのですが、定員の倍の約300名の来場があったそうですから、いかに皆さんの意識が高いかがうかがえます。
一般社団法人終活カウンセラー協会代表理事の武藤頼胡さんの講演でしたが、大変わかりやすく、人間味あふれるお話しでした。今、日本は国連の調査と定義によりますと、65才以上の方が23.3%になっていますので、7%で高齢化社会、14%で高齢社会ですので、現在、超高齢社会(21%)で、世界で最も深刻な状態の国だそうです。47年後のは、約40%の人が65歳以上になっているそうです。自分はあの世に行っているので知らないもんと言う訳にはいかないのです。
日本の全世帯数が約5093万世帯で、一人ぐらしの人が、1588万世帯(32.1%)、65歳以上が457万7千世帯だそうです。また認知症で病院に入っている人は、3%だそうです。日本は制度も、医療現場も遅れていることは事実ですね。
そして、あなた(お父さんやお母さん)が亡くなってもめるのが、遺産相続の問題で、遺産分割裁判(係争)でもめるのが遺産額1000万円以下で31%、5000万円以下は43%、貧乏人ほど残された子供(兄弟)、孫を巻き込んでもめるそうです。他人事ではないですよ。
もううんざりしてきたでしょう。大山町の梅を見て気分を変えましょう。
それでは、今日の「終活まえの生き方そして働き方」の私の提言は、上記の実態を踏まえ、私たちが超高齢社会を生き延びていくには、まずは「健康」であることなのです。武藤先生のお話の中で、終末医療に携わる大津秀一医師の「死ぬ時に後悔する25のこと」という本の紹介ありました。大津医師が1000人以上患者さんから聞き取りしたところ、ほとんどの人は死を前にすると後悔するということです。
ーアマゾンのこの本の紹介よりー
では、人生の最期を前に、どのようなことに後悔するのか。
本書は、終末期医療の専門家である著者が、
1000人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に集約して紹介。
儚くも、切ない思いが行間から滲み出てくるようで胸が締め付けられます。
例外なく、死はすべての人に訪れます。
だからこそ、1人でも多くの人に後悔の少ない人生を送ってほしい。
心の苦痛を訴える末期患者と、正面から向き合ってきた著者が
綴った切実なメッセージが心に響く1冊です。
第一章で、健康・医療面で後悔するのは
1、健康を大切にしなかったこと
2、タバコを止めなかったこと
3、生前の意思を示さなかったこと
4、治療の意味を見失かったこと と書いています。
ですから終活まえの一番大事なことは、「健康」なのです。当然心身ともに健康であることですが、まずは身体の健康です。ですから終活まえに健康面の目標をもって、健康を維持しなければなりません。そうすれば70歳まで現役で、現場の第一線で働けるのです。私は退職しましたが、70歳までバリバリ働こうと思っています。日本人のほとんどがこのような心構えを持ってほしいと、各企業も労働環境を整備していかなければなりません。
お雛様を見ると、早く孫の顔を見たい。ひたひなまつりにて
ところで、私の健康面の目標・行動計画は
1、暴飲暴食はしません。
2、腹八分で我慢する。
3、深酒は絶対にしない。
4、11時までに就寝する。(朝5時半起床)
5、禁煙をつづけ、喫煙者と同席しない。
6、毎日ウォーキングを3k以上する。
7、毎年、健康診断を受ける。
8、毎年、内視鏡大腸検査をする。
9.血圧を毎日はかる。
10、体重を65k以内に維持する。
番外ですが、毎日、呼吸法と天風体操を継続しています。(これは天風会で指導を受けて下さい。)
現在9番まで完璧ですが、最近甘いものを食べ体重が2kオーバーで、見苦しい限りです。今月中に65kに戻します。ですから終活まえにするのは、健康管理・健康維持・体力増進ではないでしょうか。明日は、家庭・家族面のことを書きます。乞うご期待。
昨日、くまもと県民葬祭主催、熊本日日新聞社などの後援の「終活フェア・講演会」に熊本市まで行って来ました。講演会が午前と午後の2回にわたってあったのですが、定員の倍の約300名の来場があったそうですから、いかに皆さんの意識が高いかがうかがえます。
一般社団法人終活カウンセラー協会代表理事の武藤頼胡さんの講演でしたが、大変わかりやすく、人間味あふれるお話しでした。今、日本は国連の調査と定義によりますと、65才以上の方が23.3%になっていますので、7%で高齢化社会、14%で高齢社会ですので、現在、超高齢社会(21%)で、世界で最も深刻な状態の国だそうです。47年後のは、約40%の人が65歳以上になっているそうです。自分はあの世に行っているので知らないもんと言う訳にはいかないのです。
日本の全世帯数が約5093万世帯で、一人ぐらしの人が、1588万世帯(32.1%)、65歳以上が457万7千世帯だそうです。また認知症で病院に入っている人は、3%だそうです。日本は制度も、医療現場も遅れていることは事実ですね。
そして、あなた(お父さんやお母さん)が亡くなってもめるのが、遺産相続の問題で、遺産分割裁判(係争)でもめるのが遺産額1000万円以下で31%、5000万円以下は43%、貧乏人ほど残された子供(兄弟)、孫を巻き込んでもめるそうです。他人事ではないですよ。
もううんざりしてきたでしょう。大山町の梅を見て気分を変えましょう。
それでは、今日の「終活まえの生き方そして働き方」の私の提言は、上記の実態を踏まえ、私たちが超高齢社会を生き延びていくには、まずは「健康」であることなのです。武藤先生のお話の中で、終末医療に携わる大津秀一医師の「死ぬ時に後悔する25のこと」という本の紹介ありました。大津医師が1000人以上患者さんから聞き取りしたところ、ほとんどの人は死を前にすると後悔するということです。
ーアマゾンのこの本の紹介よりー
では、人生の最期を前に、どのようなことに後悔するのか。
本書は、終末期医療の専門家である著者が、
1000人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に集約して紹介。
儚くも、切ない思いが行間から滲み出てくるようで胸が締め付けられます。
例外なく、死はすべての人に訪れます。
だからこそ、1人でも多くの人に後悔の少ない人生を送ってほしい。
心の苦痛を訴える末期患者と、正面から向き合ってきた著者が
綴った切実なメッセージが心に響く1冊です。
第一章で、健康・医療面で後悔するのは
1、健康を大切にしなかったこと
2、タバコを止めなかったこと
3、生前の意思を示さなかったこと
4、治療の意味を見失かったこと と書いています。
ですから終活まえの一番大事なことは、「健康」なのです。当然心身ともに健康であることですが、まずは身体の健康です。ですから終活まえに健康面の目標をもって、健康を維持しなければなりません。そうすれば70歳まで現役で、現場の第一線で働けるのです。私は退職しましたが、70歳までバリバリ働こうと思っています。日本人のほとんどがこのような心構えを持ってほしいと、各企業も労働環境を整備していかなければなりません。
お雛様を見ると、早く孫の顔を見たい。ひたひなまつりにて
ところで、私の健康面の目標・行動計画は
1、暴飲暴食はしません。
2、腹八分で我慢する。
3、深酒は絶対にしない。
4、11時までに就寝する。(朝5時半起床)
5、禁煙をつづけ、喫煙者と同席しない。
6、毎日ウォーキングを3k以上する。
7、毎年、健康診断を受ける。
8、毎年、内視鏡大腸検査をする。
9.血圧を毎日はかる。
10、体重を65k以内に維持する。
番外ですが、毎日、呼吸法と天風体操を継続しています。(これは天風会で指導を受けて下さい。)
現在9番まで完璧ですが、最近甘いものを食べ体重が2kオーバーで、見苦しい限りです。今月中に65kに戻します。ですから終活まえにするのは、健康管理・健康維持・体力増進ではないでしょうか。明日は、家庭・家族面のことを書きます。乞うご期待。
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