2013年3月6日水曜日

祈りー悟りの智慧ー

 おはようございます。
昨日に引き続き、中野東禅先生の講義より、今日は祈りについて書きたいと思います。周りを見渡すと、人は生きていることに疎外感や失望感を感じながら、病気にかかり、年老いていき、死が訪れています。そして、私たちの現代文明は、あれが欲しい、これがしたいと欲望に翻弄されているのです。

そのような現代社会のなかで、明るく、健康で、元気に生きていくには、こころを静め、そのなかから、生命力を引き出すことが必要なのです。釈迦様の悟りの原点は、涅槃寂静であり、その行為は座禅によって達成されるのです。それは各人がしなければならず、他に頼れるものではないのです。

勝胤寺墓苑にて、墓石に「南無釈迦牟尼仏」に掘っていますが、仏教はこれが本物だと思います。


日本人が一般的にお祈りにいくのは、お正月の参拝であり、入学試験に合格しますようにとか、給料が上がりますようにとか、宝くじが当たりますようにとか、病気が治りますようにとかと言って、祈っているのではないでしょうか。

でも本来は、祈れることは生きているわけですから、生かしていただいていることに感謝する祈りをしなければなりません。祈りの対象は、宇宙の生命の源であり、そのことを解明し(悟り)、私たちに教えてくれたお釈迦様と、それを教え続けた祖師たちと両親に感謝しなければなりません。

そして、人々が癒され、健康であり救われるように、争いでなく、平和があるように、混乱ではなく、平穏であるように、苦しみではなく、楽しさがあるように、他人のために祈ることが、自分のための祈りも、包み込んで、祈りが天(神仏)にとどき、かなえられるだと思います(宇宙の法則)。謙虚な祈りこそ、人間に与えられた特権ではないでしょうか。

仏教のお経は、仏に捧げる祈りであります。一般的にお葬儀や法事でお坊さんのお経を聞いても何を言っているかもさっぱりわからないのが現状です。それはお坊さん側の説明不足があると思います。まずはどのような意味があるのか、説明してもらう、聞いてみることから始めてもらいたいと思います。

勝胤寺の静寂なる裏山

お釈迦様が実際お話したもので、ダンマパダ(法句経)というお経があります。口語文で東禅先生が書いてくれていますので、ご紹介します。

祈りの言葉(「法句経」お釈迦様の言葉から)

「愛欲に縛られた火は恐ろしい。飢えは最大の病である。
健康はありがたい。信頼は最上の友。満ち足りることは素敵な喜び。
心が穏やかでいられるのは最上の楽しみである。」(202)

「人は、清き喜びにしたがって、困っている人を施す。
しかし、人のくれた食べ物に満足しない人は安らぎはこない。」(249)

「人を傷つけるような人々の中にいても振り回されず、安らぎを楽しもう。
自分の利益や立場に拘る人々の中にいても、振り回されず、安らぎを楽しもう。」(197)

「安らぎの向こう岸に渡ろうとする人は、欲楽や不安や恐怖に害われることがない。
迷う人は人を傷つけるように己の心を傷つける。」(333)

「皆さんに幸あれ。不安と恐怖と甘えの根を掘れ。」(337)


仏教塾でご教授してくださった中野東禅先生をはじめ諸先生方や支えてくれた家族に感謝をします。「よろず相談」を開催中ですので遠慮なくメールしてください。
E-mail  beppu1717@mint.ocn.ne.jp














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