2013年9月26日木曜日

なぜ座禅をするのか?ー禅(仏道)を歩むⅧー

 おはようございます。
毎日、毎日、ニュースが日替わりし、親が子を殺したとか、車が暴走して小学生の列に突っ込んだとか、あるいは奥さんが自宅に男を連れ込んだとか、ものすごいマイナス情報があふれています。このような現代社会のニュースで汚れない人はいるでしょうか。私たちは外から汚されているのです。

そして私たちの内面は、消極的思考におかされ、できないのはあるいは現状が悪いのは、社会や他人が悪いからだと言い、求めてばかりいて、他人のことをかえりみないエゴイスティックな自己があるばかりではないでしょうか。私たちは内面的にも自ずと汚されているのです。

複雑な人間関係で悩んでうつ病になったり、してはいけない不倫行為を、本能のおもむくまま、罪悪感もなく、してしまう。人の物を盗んだり、子供を虐待したり、あげくのはてに人の命を奪ってしまう。欲望と煩悩でなんと汚れ切っているのでしょうか。

山深い寺で、すべての情報を絶って、修行できる人はほんの一握りで、それでは自分だけが救われる小乗仏教となんら変わらないのです。お釈迦様が、人々を、一切衆生を救えと言うことから大乗仏教が今日あるのです。

心を鎮め、汚れを毎日、取り除くにどのような手段があるというのでしょうか。それが座禅であると教えてくれた人が、お釈迦様であり、達磨大和尚であり、道元禅師など祖師たちなのです。祖師たちに感謝し、毎日座禅を実践すれば、純粋な自己に立ち戻り、仏と出会い、仏性が目覚めるのです。

ストレスからくる悩み、苦しみから解放され、自由な自己に立ち返り、全人格的な自己になる時、生活のあらゆる領域で、正しい判断と決断と行動ができるのです。仕事をするとき、食事をするとき、家庭にいるとき、トイレに行くときでも仏がともにいて、こころの落ち着いた生活をすることができるのです。

人生に勝利する、成功するとは、そのような自己になることを言うのです。ですから座禅を日々することが修行であり、座禅そのものが人生となるのではないでしょうか。今日はトレイルコースづくりで大分県日田市天瀬町の顕徳坊尊、高塚地蔵尊に登り、神仏に礼拝し、皆様のご多幸をお祈りします。感謝!合掌 徳温禅月。








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