2013年9月3日火曜日

池上彰の「そうだったのか!現代史」を読むⅢ-第14章天安門広場ー

 おはようございます。
シリアでは子供を含め多くの方々が、サリンという科学兵器によって殺戮されています。なんというなげかわしく、悲しいことでしょうか。亡くなられた方々のご冥福と一刻も早く終息し、平和が訪れることをお祈りします。

昨日、文化大革命について書きましたが、中国では亡くなられた方をどのように弔うのかなとふと思いました。唯物主観に立った共産主義ですから、宗教は政府公認の施設はあるが、公けには宗教行為はできないでしょうから、どうしているのでしょうか。まずもって、文化大革命、天安門広場、四川大震災などで亡くなられた中国人民のご冥福とご供養をお祈りします。

今日は『「そうだったのか!現代史」第14章天安門広場が血に染まった』を読んでその感想を書きたいと思います。毛沢東の死後、実質的な権力は鄧小平が握り、忠実な弟子であった胡耀邦を首席にし、経済の改革開放を路線を推し進めます。

そうすると当然、言論自由などを求める声が出てくるのですが、弾圧していきます。共産党政権下ではすべて、共産党の管理下にあるのです。1986年科学技術大学で、「学生食堂のサービス」が悪いというレベルから、次第に「民主」や「自由」を口にするようになりました。

上海や北京の大学の150余りに広がり、これを弾圧することなく見逃した胡耀邦総書記は保守派により失脚させられます。胡耀邦は2年後に亡くなります。その死を悼んで、デモがおこなわれました。それが、民主化、言論の自由、共産党や政府幹部の汚職弾劾など求めて天安門広場を埋め尽くすのです。

しかし、それは動乱として鎮圧されます。鄧小平のもうひとりの忠実な弟子、趙紫陽も学生に加担したとして、失脚します。中国全土で1000万人が街頭に出た言われていますが、人民解放軍が出て天安門広場を制圧するのです。

これを指導したのが鄧小平で、保守派が巻き返し、江沢民を総書記に据えます。中国現代史の歴史は、中国共産党の権力闘争の歴史であり、彼らにしてみればそれは毛沢東の言った永続革命なのです。

池上彰さんは、最後に「経済の改革・開放を続ける限り、西側の思想や文化は、いやおうなくはいってきます。いつかまた、中国に遅い春がやってくるはずです」とこの章を結んでいます。私は悲観的に見ています。

文化大革命と天安門広場を読み返し、いかに中国共産党が恐ろしい政権であり、それは毛沢東思想によって洗脳され、共産党の国益を守るためには、今、内にエネルギーを向けるのではなく、それを外に向け、これまでの反日教育によって、いつでも戦争をやるぞという中国の若者が増えていることを、日本人は肝に銘じ、警戒しておかないと周辺各国、民族と同じ目にあうのです。

私たち人間は、文明は発達したが、精神は幼稚な唯物主義におかされているのです。だからこそ、釈尊やキリスト、そして聖人達の教えに立ちかえるべきではないでしょうか。第二次世界大戦後、多くの戦争が行われ、多くの方々が犠牲になったのです。その供養をせずに、安穏と生きていたら、その霊魂はうかばれないのです。神仏から遠ざかれば遠ざかるほど、世界は闇に包まれていくのではなく、神仏に近づき、祈り、光を取り戻さなければなりません。



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