2012年11月6日火曜日

藤本義一さん

おはようございます。
11PMでの藤本義一さんの軽妙な辛口の話し方に魅了された人は多いと思います。特に団塊世代は、高校や大学時代ですので、深夜、両親が寝静まって、テレビをつけ、こっそり見ていた方が多いかと思います。その当時はまだテレビは一家に一台の時代でしたから。

藤本義一さんは、11PMの司会者のときに、原発の危険性を取り上げ、テレビ局の反対を押し切って放映したくらい、反骨精神と反中央集権の作家であり、戦時中そして戦後の焼け野原のなかでひもじい思いをして生き延びてきたのに、テレビでは微塵だにださない方だったという印象が深いのです。私たちは、戦後を知っている直木賞作家である藤本義一さんや五木寛之さん瀬戸内寂聴さんなどの本を読んで、彼らが肌で感じ、訴えていることに耳をかさなければ日本の将来は危ういのではないでしょうか。

藤本さんの著作で4年前に出された「歎異抄に学ぶ人生の智慧」(PHP)があります。藤本さんはマルチタレントのようなところがあるので、えまさか、親鸞の歎異抄についてかくのかと少しびっくりしました。しかし、藤本さんは60歳を過ぎてから、「方丈記」「徒然草」そして「歎異抄」を3年間に一冊づつ繰り返し読んでいったそうです。「三年読めば、古典が自然に現代に融合してきて、自分の中で浸み込んで来る気配がある」と書いています。

誰もが人生のどこかで名著に巡り合い、まさに座右の書にするのですが、特に古典は、風雪に耐えて多くの方に読まれ続けているもので、まさに生と死が書かれています。私が必ず、自分のそばに置き、いつも読んでいるものは、「聖書」と「仏教聖典」ですが、それは宗教書のみならず、文学的にも最高峰のものだからです。聖書の詩篇などは、どれだけで癒されることでしょう。

藤本さんは、この「歎異抄に学ぶ人生の智慧」のなかで、お父さんやお母さんの生き方そして死を通して、歎異抄をわかりやすく語っています。皆さん一人一人が、藤本さんの遺言と思って読んでみませんか。そんな折、伊集院静氏が作詞した前川清さんの最新の歌を耳にしたのでご紹介します。

「哀しみの終わりに」 作詞 伊集院静 

今年また夏が来て あなたみたいに光る
大好きな紫陽花(あじさい)が あなたの窓叩く
いなくなってしまうと わかっていたなら
ドアは開けなかった
二度と帰らないのが わかっていたのなら
離しはしなかったのに
本当ですか 哀しみにもやがて終わりがくるって
本当ですか 哀しみが終わって いつか笑える日が来る

空に星たちが来て あの夏の日が揺れる
あなたに似ているアネモエが微笑みかけてくる
いなくなってしまうと わかっていたなら
駅へ行かせなかった
二度と逢えないことが わかっていたなら
抱きしめ続けていたのに

という歌詞ですが、前川さんの歌をすぐ聞いてみてください。この歌詞が心にしみてきますよ。伊集院さんも夏目雅子さんを亡くしました。そして桑名正博さんや藤本義一さんなど今多くの方がこの世を去っていますが、藤本さんたちと東日本大震災や北部九州大水害で亡くなられた方たちのご冥福をこころよりお祈りします。




0 件のコメント:

コメントを投稿