2012年11月7日水曜日

冬が来る前に

おはようございます。
昨日、藤本義一さんのことを書いたが、私も3年前に、66歳の兄を亡くし、57歳の大切な友人を亡くした。私が60歳を過ぎたら、これからが本当の人生だから待っていてよと、山や川に遊びに行こう、もっと語り合おうよと約束してしていたが、先に逝ってしまった。

お別れのときに、耳に蘇り、聞こえてきた(幻覚)のが、35年前に聞いた紙ふうせんの「冬が来る前に」だ。

「冬が来る前に」 作詞 後藤悦治郎            大分県玖珠町岳切渓谷

坂の細い道を 夏の雨にうたれ        
言葉さがし続けて 別れた二人
小麦色に焼けた 肌も色もあせて
黄昏わたし一人 海をみるの
冬が来る前に もう一度あの人と
めぐり逢いたい

秋の風が吹いて 街はコスモス色
あなたからの便り 風に聞くの
落葉つもる道は 夏の想い出道
今日もわたし一人 バスを待つの

この歌詞は、別れた人とまためぐり逢いたいという失恋歌だと思いますが、紙ふうせんのボーカルの平山泰代さんのすきとおった、哀愁のこもった歌声を聴いていると、どうも冬が死を意味しているように思えてならないのです。

人は死を通してからしかをかんがみることはないと思う。父や母の死、兄弟の死、親しい友人の死、可愛がっていた犬の死、など思い出がよみがえり、ソファにもたれかけて涙に明け暮れる日々を過ごしたことがない人はいないと思う。

死は、必ず誰しもやってくるのです。だからこそ現実の人生は一度限りであり、その人生に精一杯自分を表現するべきだと思う。与えられたいのちを大切に生き切ってこそ、静寂をあじあうことができるのだと思います。

そして、死をみつめていると自分の周りの人たちがいかにたいせつな人たちであるかがわかって、その大切なひたのためにも、生きなければならないのです。静かに座り、大自然に耳を傾けよう、そして魂の奥深く(宇宙)から聞こえてくる声を聴こう。
「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」ー空海ー









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