おはようございます。
天領まつりで、豆田町を中心に散策しました。久ぶりに咸宜園によりました。環境整備が進んでいましたが、天領まつりとのコラボをすれば、もっと観光客が見学にくるのでは思いました。
この咸宜園を開塾した広瀬淡窓の漢詩のなかに、「休道の詩」がありますが、石碑を見るとなつかしく高校・大学時代の想い出がよみがえってきます。
石碑と咸宜園教育研究センター
休道他郷多苦辛 道(い)うことを休(や)めよ 他郷(たきょう)苦辛(くしん)多しと
同袍有友自相親 同袍(どうほう)友有り 自ら相親しむ
柴扉暁出霜如雪 柴扉(さいひ)暁に出づれば 霜(しも)雪の如し
君汲川流我拾薪 君は川流(せんりゅう)を汲(く)め 我は薪(たきぎ)を拾わん
学生時代で、私訳しますと、「それぞれの大学に行ったのですが、故郷から離れたところでは、学園紛争などいろいろ苦労することがあった。しかし田舎に帰ってくると、高校時代の友人たちと再開し、それぞれの思いを語ったものです。朝方まで話をし、日の出を見に出ると、玄関の庭には霜がふり、まるで雪がふったようでした。友達に、朝食の支度をたのみ、私は布団をあげ掃除をした。」と解釈したのですが、青春時代、友達との再会は、唯一の楽しみであり、励みになったものです。
学び舎の秋風庵
広瀬淡窓の教育方針のなかに、「三奪法」がありますが、江戸時代、士農工商の身分制度の厳しい時代に、学歴、年齢、身分を問わず、武士、町民、僧侶、農民など門をたたく者は門下生としたのです。また「月旦表」という成績表で、19級までわかれていて、努力すれ昇級できる仕組みを作ったのです。いまでいえば学年にとらわれす、勉強できる公文式や学研式のようなものです。
千年あかり くんちょう酒造横
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