昨日、日田市天瀬町の顕徳坊尊に参ってきました。江戸時代後期に出羽の国米沢領沢村(現在の山形県米沢市)の顕徳坊というお坊さんがこの地にたどりつき、湯山村に永眠したのであるが、信仰と修行に生きた無冠の僧です。180年前より、村民たちが日々の苦しみ、悲しみなどの諸々の願望をお願いし、ご加護ご利益をいただく霊験あらたなるところとなったのです。すぐ近くに、高塚愛宕地蔵尊があります。
天瀬町湯山長美野にある顕徳坊尊、日田市市内一望できます。
ブッダに「多くの神々と人間とは、幸福を望み、幸せを思っています。最上の幸福を説いてください。」とたずねると、
「諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、-これがこよなき幸せである。
適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい誓願をおこしていること、-これがこよなき幸せである。
深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること、-これがこよなき幸せである。
父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、-これがこよなき幸せである。
施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し護ることと、非難を受けない行為、-これがこよなき幸せである。
悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ、徳行をゆるがせにしないこと、-これがこよなき幸せである。
尊敬と謙遜と満足と感謝と適当な時に教えを聞くこと、-これがこよなき幸せである。
耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の〈道の人〉に会うこと、適当な時に理法についての教えを聞くこと、-これがこよなき幸せである。
修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎを体得すること、-これがこよなき幸せである。
世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏であること、-これがこよなき幸せである。
これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。あらゆることについて幸福に達する。ーこれがこよなき幸せである。」
「スッタニパ-タ」258~269 中村 元訳「ブッタのことば」岩波文庫
ブッタは人生において幸福になるためにどうあればよいかをすべて答えています。このなかに安らぎを体得することと述べていますが、安らぎとは、ニルバーナ(静寂)を言います。静寂をえるためには、座禅をすることが最も良い方法です。顕徳坊尊の帰りに、天ケ瀬温泉の天龍荘にお寄りしましたが、ここの湯は、日本百名湯に選ばれています。大庭社長さんに、温泉禅を教授しました。温泉につかり、座禅をするのです。5分前後で充分です。これを繰り返しますと、体の血行はよくなり、こころがゆったり落ち着いてきます。最高の寂静の世界を味わえます。ぜひお試ししてみてください。
0 件のコメント:
コメントを投稿