おかげさまで、今日も眠りから覚めることができ、感謝です。死とは、恐らく、眠りと一緒で、無意識状態になり続けることだと思います。だから思惟はのこりません。見えない魂、無意識な魂が肉体から離れ、旅立つものと信じています。
東京国際仏教塾の第25期閉講式、第26期開校式が同時行われ、元駒澤大学総長の奈良康明名誉教授の記念講演がありましたので、その感想を書きたいと思います。先生は84歳になられますが、かくしゃくとして、老練な語りは、味がありますね。先生のようにお年をとりたいとものです。
奈良康明先生です。「生きる道としての仏教」とテーマでお話されました。
仏教塾で勉強して、改めて仏教ほど論理的な宗教はないなと感じています。釈尊は、縁起、無常、無我、空を論理的に説いたのです。インド人が数学や物理に長けている通りで、論理的思考の民族なのです。
今いる場所と時には、原因があり、結果があるのです。そのもっとも根源的なものが「法(ダルマ)」であり、それは宇宙のおのずからのハタラキなのです。宇宙・自然界のなかで、いのちがあり、生かされているのです。人間がいかに進歩しようが、地震などの大自然、宇宙の営みに対することはできないし、地球もすべていのちがあることに早く気づかないと、生かされていることへの感謝の念は生まれないでしょう。
竜体山の巨大岩(約20m)の梵字
日田市財津町の竜体山の巨大な赤岩に掘られている梵字(サンスクリット語)は、「あびらうんけん」と書いているのですが、大日如来の真言であり、法身仏と言い、宇宙そのものであり、唱えることで、生かされている、生きてゆく「力」をいただけるのです。
生かされて、生きていく修行を通して、エゴではなく、無我をめざし、家庭生活、社会生活において、慈悲に実践をすることが、釈尊の教えに還ることであり、人生を全うし、悔いのない死(旅立ち)を迎えることができるのではないでしょうか。
世界の国の教育の中で、仏教を学ぶ機会を取り入れたら、ボストン事件を起こした青年たちは生まれてこないと思います。その意味でいえば、東大紛争のその後の極左集団の末路は、戦後教育から「こころ」の教育をなくした結果だと思いますがどうでしょうか。
今のままでは、第二、第三の秋葉原事件は起きることが危惧されるので、仏教塾の卒業生は、それぞれの地域社会のなかで、仏道を成就するために尽力しなければならないと決意する次第です。
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