2013年4月3日水曜日

映画「一遍上人」を観て

 おはようございます。
日田に、映画館リベルテがあります。何度も休館したりしていましたが、オーナーの合原真知子さんが、映画文化と地域コミュニティの必要性から、残して営業してくれています。全国にこのような映画館があると思いますが、まちの映画館は残したいので、皆さんも時々観に行ってください。

西日本新聞の記事で、「一遍上人」が上映されているのを知りました。29日に音楽担当のスティーブエトウさんが来られて演奏会があったそうです。4日まで上映、DVDもあるそうです。いっぺんみてください。(日田の方言)


監督は、秋原北胤さんは、本名は正俊(50歳)ですが、この映画で北胤と戒名したそうです。このようなテーマにチャレンジするのは、思うところがあったのでしょう。この写真から一遍上人を演じているのは誰と思いますか。

あのキャーイーンのウド鈴木さんなのであります。皆さんも大丈夫と思うでしょう。セリフが少ないからよかったかも。一般の方にとっては、ウドさんの飄々とした顔に癒されるかも知れません。壮絶な人生ですから、下手をすると映画そのものが暗くなると思いますので、良かったと思います。


ところで、一遍上人がどんな人かよく知らない方も多いと思いますので、すこしご紹介しますと、1239年に、今の愛媛県の豪族の子として生まれましたが、政変で没落し、10歳の時に母を亡くしています。出家し、大宰府の聖達和尚に、浄土宗を学び、父の死後、家を捨て、遊行の旅に出ます。

大阪、高野山など村々を回り、念仏を説いたのです。熊野山中で熊野権現の神仏の啓示を受けます。捨て聖と呼ばれながら、奥さんの超一、娘の超二を連れ、全国を遊行し、「南無阿弥陀仏 決定往生」という賦算札を配って仏との結縁を説いて回るのです。この時代は、お百姓の人は土民といい、あぜ道には、たくさんの人が病と死におかされ倒れていたのです。

踊り念仏が有名ですが、映画でもその描写があります。奥さんの超一が自然に踊ったことから始まったと思います。この辺が女性の感性の豊かさですね。歌や踊りは、虐げられた民衆にとっては、生活苦から癒される唯一のものであり、たとえばゴスペルなども神にささげる歌とダンスで、神を賛美しているのです。超一も超二も、念仏行者として、南無阿弥陀仏というゴスペルを踊ったのだと思います。

このような花にも癒されたかも

ゴスペルと言ったのは、アメリカのゴスペルの凄さは実際に体験しないとわかりませんが、時代が豊かになっても、お釈迦様が説いた生老病死などの四苦八苦はなくならないのです。生命の根源なるものにたいする畏敬の念や感謝のない人が、豊かな人生をおくることはないし、訪れる死に直面したとき、安らかに天国(ご浄土)に行けるかは、一遍上人が説いた南無阿弥陀仏にあるのです。

ところで、南無阿弥陀仏の意味は、サンスクリット語で、南無はナ~ムと言い、帰依すると言う意味です。阿弥陀仏とは、アミーバ・アミターユスと発声し、無量寿、無量光といい、永遠なるもの、無限なる智慧を表しているのです。

皆さんがお葬儀に行って、南無阿弥陀仏と唱えるのは、全知にして全能なる方に、感謝して、言うことを聞きますと言っているのです。仏教も、キリスト教も、イスラム教もそういう意味では、一緒なのだと思っています。まあ、ウド鈴木さんの名演技を観てくださいね。














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