おはようございます。
人生の再設計は、生き方そのものであるのです。一部の人たちを見ると、晩年に何であんなことをしたのと人々からいぶかられる方がおられる。一般社団法人終活カウンセラー協会のテーマに終活とは、「人生の終焉を考え、今を自分らしくより良く生きる活動」と言っています。昨日の「生きざま」に引き続き、「晩節を汚すな」と問いたいと思います。
年をとっても、凛とした生き方をしたいと思いませんか。やはり品格を保ちたいものです。そのためには、やはり古典を読むべきではないでしょうか。温故知新といって、論語、仏典、聖書などの古典に尋ねると、現代社会でもいきいきとして、何千年経っても、言葉が揺るがないですね。
孔子の有名な言葉に、
「子曰く、吾、十有五にして学を志し、三十にして立つ、四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳従う。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)をこえず。(論語ー為政4)
とあります。15歳で学問を志し、30歳で自分の進むべきものがわかった、40歳で判断に迷いが無くなり、50歳になって天が与えてくれた使命がわかった。60歳で人の言うことを素直に聞けるようになり、70歳にして自分の思うとおりに行動しても行き過ぎることがなくなったという意味です。(「中野孝司次の論語」海竜社より)私もこのように生きたいと思っています。
廣瀬淡窓先生は、三隈川と亀山公園を散策しながら、上記の言葉を教え諭したと思います。
終活の準備として、老後の蓄えが必要なことは言うまでもありませんが、いろんな本が、5000万必要だとか、1億必要だとか、有名人が口にすると翻弄される人がいますが、いわゆる老後の自分の生き方を決めれば、人に言うことに振り回されずに済みます。家庭収支計算書をつくればおのずといくら必要かわかります。
しかし、往々にして晩節を汚す誘惑にこの世は満ちています。金銭欲が結局は、悪徳商法、利得商法に巻き込まれ、退職金もすべて身ぐるみ取られる人がいます。そんなうまい話はないのです。そんな話があったら、銀行の方などに相談すればほんとうのことを教えてくれます。守銭奴にはなるな。
事業欲にも気をつけておかないと人間はあれもこれもできない。どれも中途半端で倒産したら、家族も社員もどうしょうもない。なぜなら積極的とおもっていたからですが、しょせん事業欲という欲望ではないですか。事業が悪いと言っているのではなく、稲盛和夫氏が言うように、「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」ということです。つまり、細心の計画と準備なくして成功はありえないということです。「生き方」稲盛和夫著サンマーク出版
アベノミクスで株が急騰しているので、買いませんかと証券会社から電話がありますが、素人がなかなか儲けきらないのは、株の目利きができないし、株はプロの世界であることを認識すべきだと思いませんか。金が上がるから金、不動産が上がるから土地、株が上るからと右往左往している人ほど儲かるはずはないのです。
社長はあんなものに手をだしてからとか、親父は株にのぼせて大損したとか、高野山真言宗本山が約6億8千万?経理に穴をあけたとかの話を聞くと、宗教界も情けないと思いませんか。そのほとんどの人が中高年の役職者で、晩節を汚してしまっているのです。この罰当たり者めが。
次に、色欲です。自分よりちょっと若い子から声をかけられると、さかりのついた雄犬のように我を忘れてしまい、追いかける、挙句の果てにストーカーに間違われて、職務質問されたりする。そうならないまでも、カネの力で、囲ったりするふとどきものがいて、マスコミに名前や顔まででる上級官僚も後を絶たない。女で晩節を汚すと女房には逃げられ、寂しい晩年を送る羽目になるので要注意です。
そうならないためには、身の程しらずにならないこと、女が近づいてきたら、裏があると思え、と言いたい。しかし人間の果てしない性欲にはあきれ果てるばかりです。週刊誌は売るために、60代の性はいまからとか特集を組んで売り上げをあげている。要らぬお世話ではないか。
明日、晩節を汚さないために、お釈迦様がなんといっているかを書きたいと思います。乞うご期待。
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