5月2日に「民藝と小鹿田 受け継がれる炎 シンポジューム」が日田市パトリアでありましたが、パネリストにびっくりしましたね。コーディネーターが日田市出身の麻生圭子さん(エッセイスト)で、ほんとうに日田美人。自然な進行でうまいですよね。
パネリストに日本文藝館学芸員の杉山亨司さん、柳宗悦のすべてを知っている人ですね。石井頼子さんは、棟方志功のお孫さんで、知られざる棟方の掘り起こしに力を注いでいます。鷺 珠江さん、河井寛次郎のお孫さんで記念館の学芸員です。濱田琢司さん、濱田庄司のお孫さんで、南山大学の准教授です。よくこれだけのメンバーが揃ったなと思います。関係者に感謝です。しっかりしたお孫さんたちで、おじいちゃん達は、ご浄土で喜んでいるんじゃないかとふと思いました。
受け継がれるということ、このお孫さんたちを見て、聴いていると、祖父の成したことをよく理解し、後世に残していく仕事ができていることに感心しました。これは民藝といわれる小鹿田焼のみならず、全国各地の民衆の藝術が受け継がれていくことと同じだなと思いました。
小鹿田焼の素朴で、しかも品格(古格)があり、凛としたうつわは、この皿山しかできないものだと思っていました。天の恵みであるつち(粘土)と水を、生活のなかで生かし、唐臼とどくろから、携わる人が繰り返し繰り返しのなかで作らていくうつわ(陶器)。言葉では表現できないので、ぜひ足を運んでほしいですね。まとめのキーワードで、「誠実、簡単、健康、自由」を言ったことが印象的でした。
柳宗悦氏は、小石原から20キロの距離を山を越え、歩いて、皿山(小鹿田を)訪れて、驚喜したそうです。柳宗悦氏の著作である「民藝とは何か」、「美の国と民藝」などを読むと、観察力や洞察力、そして哲学や仏教思想の造詣のの深さに驚きます。この人を中心に、バーナードリーチ、河井寛次郎や濱田庄司、そして棟方志功がむすびつき、画期的な芸術の時代をつくったことに惚れ惚れします。それぞれが、ここ、皿山・小鹿田を訪れているのです。70年経って、そのお孫さんたちも小鹿田をおとずれることは、まさに受け継がるものであると思います。
このシンポジュームを聴きながら二人の人を思い出しました。ひとりは寺川さん夫妻です。、私は日田市吹上町で生まれ、父が青果商を営んでいましたので、小学生のころから、寺川泰郎さん宅に、木綿を配達していたこと、寺川さんの風貌、そして優しくほんとうに大和なでしこと言うような清楚な奥さんのお顔をはっきりと覚えています。配達するとお駄賃をくれたからです。この寺川さんは、学者風で厳しい感じで、小鹿田焼を取り扱っているのは知っていましたが、柳宗悦さんと日本民藝協会にたいへんかかわっていたことは知りませんでした。寺川さんが居なければ、小鹿田焼も全国に流布されることはなかったかもしれません。もう寺川夫妻もいません。
もうひとり、日田高校の友達で、黒木武雄君がいました。弓道部で、頭のいい、精悍な顔をした奴で、小鹿田の窯元の次男でしたが、大学時代に隣の人がガス爆発をお越し、その後遺症で亡くなったのです(享年25歳)。友達とご実家にお悔やみに行ったことを覚えています。生きていれば、いい仕事をした人物です。涙が出る、残念。黒木君、君が生まれたときから聴き続けたきた唐臼の音が今の皿山に鳴り響いているよ。
今回の小鹿田焼唐臼祭(3日・4日)で手に入れた「うつわ」です。丼鉢の大きさですが、自分としてはうどんでもらーめんでも、牛丼でもこれで食べようと思っています。いいでしょう。全国の皆さん、今はネットでも買えます。でも、いちど大分県日田市源町の小鹿田に来てみませんか。
明日は、柳宗悦さんの仏教思想について、書いてみます。乞うご期待。
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