2013年6月13日木曜日

「おまえはなにものだ!」-熊野磨崖仏ー

 おはようございます。
8日に豊後高田市田染平野にある熊野磨崖仏に参詣してから、「おまえはなにものだ!」という言葉にさいなまされていました。昨年、東京国際仏教塾に通学してたとき、各宗派の修行のおり、自己紹介があるのですが、どれだけ自分と言ううものを知っているのか。自分が生まれ育ってきた日田市を知っているのか。大分県についてどれだけ語れるのか。と思っていました。

鬼が作った階段を杖をついて一歩一歩と登って行きます。
 
 
以前、若き青年会議所時代、今大活躍されている衆議院議員の岩屋 毅君から(後輩だから君と呼びます)から、別府さんと名前を変わりたいと言われたことを懐かしく思い出しました。東京に行くと、大分県の別府さんって覚えやすいですねといわれ、少しためらいがありました。

さて、熊野磨崖仏である不動明王と大日如来が「おまえはなにものだ!」と言ったかはわかりませんが、磨崖仏のまえに立つとその荘厳さから圧倒され、しばらく自然と立ちすくむのです。そして自然と手を合わせるのです。(高さ約8m)

熊野磨崖仏不動明王像

熊野磨崖仏大日如来像

頂上に熊野権現様を祀っています。

私の友人で東京のコンサルタントの先生が、顧問先が京都にもあり、数年かけて京都のお寺をほとんど観てまわったが、熊野磨崖仏のようなものは初めて見た。凄いすごいと感心していましたが、かれはどうもクリスチャンのようでしたが、信仰のこころは通じ合うのです。

実は、宇佐神宮でも、この熊野磨崖仏でも、そして東京の靖国神社でも、参拝でお会いしたのは、中国や韓国の方でした。それも若い方たちが手を合わせる姿を見ていると観光客を越えたものを感じました。私達もまた偏見の目を持ってはいけません。別府市はAPU大学が来てよかったですね。でも誘致当時、反対する人達も多かったですね。

飽食時代の日本人は一度全員、全国の禅寺に行って、赴粥飯(ふしゅくはん、禅食)を経験してはどうでしょうか。日本の食の原点があり、生きているお米やお野菜をいただき、一粒ものこしません。飢餓で亡くなる子供達が世界には毎年約240万人もいます。その人たちの犠牲の上に、私たちの食生活があるのでないですかと自分に問いかけています。

お不動様へ「おん、あぼきゃ、べいろしゃのう、まかもだらまに はんどま じんばら、はりばりたや う~ん」と思わず声が出ました。合掌。

不動明王様から言われた「おまえはなにものだ!」に、いつも答えられるべきだとおもいませんか。私は大分県日田市で生まれ、育ち、子供のとき吹上台地で遊びほうけ、でもそこの畑から、土器片がいつも出てきていたので、ここは古代の豪族がいたのでと思っていましたが、それから、十数年後、日本最古と言われる環濠集落である小迫辻原遺跡が出土したのです。

廣瀬淡窓先生の咸宜園を世界教育遺産にと声が上がっていますか、廣瀬淡窓先生および咸宜園についてどれだけ語れますか。小鹿田焼についてどれだけ語れますか。自分をはぐくんでくれた日田市の自然や歴史について語れるものでなければ、「おまえはなにものだ!」に答えられないと思います。

青年会議所時代、大分ブロック協議会に出向していましたので、大分県内の大分市、別府市のみならず、北部の中津市や宇佐市、杵築市そして県南の臼杵市、佐伯市によく行っていましたが、酒は飲みかわしてはいましたが、そこの地元の歴史や自然を知るべきもなく過ごしたことが勿体なく、今JC現役世代の人には、ゆっくり見てまわってほしいと思います。

宇佐市安心院町の秘境東椎屋の滝(85m)です。大自然と戯れられます。
 

私も含め、大分県民は自分の出生地と大分県の歴史や文化、そして自然をよく知ることが「おまえはなにものだ!」に答えらるのではないでしょうか。ですからそれぞれの県民の皆様もまずは自分たちの町や市、そして県をよく知ってほしいと思います。

宝は、よそにあるのではなく、足元にあるのです。東京国際仏教塾の同窓会を大分の地で開催し、日田、宇佐、国東半島、杵築、別府、臼杵と共に巡礼してみたいですね。いつするのと言われたら、「いまでしょう」と答えたいと思います。

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