2013年6月19日水曜日

「イケメンダンクのひとりごと」-最終回ー


アメリカ帰りのエリック



この二人に可愛がられていたが、実は2年前、突然ショーゴがアメリカから、エリックを連れて帰ってきたのにはびっくりした。

 

エリックは、ニューヨーク生まれのペルシャ猫なのである。言い忘れたが僕は、ドイツ犬ミニチュアピンシャーである。
 
 

ショーゴは優しい男であるが、アメリカでさみしかったのであろう。エリックを養子にしたのである。

 

エリックは、裏のBeハウスにショーゴと住んでいるので、時々、タケシが遊びに連れて行ってくれるが、いつもふてぶてしい、僕は友好的に接しているのに、一度手を出してきた。エリックの爪は、犬とは違い攻撃するときは伸びるのでやっかいである。アメリカはいつも威嚇するが、ドイツは凛としているので、タケシは僕とウマが合うらしい。

 

しかしエリックも、日本での生活に慣れ、タケシが食事とトイレの世話をするので、落ち着いてきた。

 

ときどき、本宅にショーゴが抱いてくるが、おなじようにふてぶてしい態度なので僕は許さない、それに僕はショーゴが好きなので、すこし嫉妬しているかもしれない。まあアメリカと日本だから一定の距離をおいて付き合おうと思っている。それが最善の平和的方法だ。

 

体の異変と病苦

 

 最近、左足が痛い、お気に入りのソファーに上がるのがしんどい。タケシが異変に気づいて、動物病院に行こうといった。

 

病院でレントゲンを撮って診察してもらったが、関節炎からかよくわからない感じだった。それから数日たつと、僕の左足はなえてしまって、立てなくなった。

 

タケシがまた病院に連れて行った。脊髄が損傷しているかもしれないので、福岡の病院でMRI検査をしたほうがよいと先生が言い。次週、先生が深夜連れて行ってくれることになった。先生ありがとう。
 


 

薬も飲んでいたが、僕の容態は急激に悪くなって、立つことができなくなって、トイレにいけない状態になった。

 

タケシが抱っこして外に連れて行ってくれたが、もうなかなかできない。痛いし、くやしくて、タケシの指をかんだ。

 

タケシは我慢していたが、手の指から血が出ていた。ごめんねタケシ。シッコができないので、タケシが僕のおちんちんにカテーテルを差し込んで、注射器で吸い取るようにした。僕はもう自分でオシッコもできない体になった。

 

ぼくはとうとう紙おむつをすることになった。MRI検査の日、タケシが頑張ってと言ってくれた。

 

検査の結果は、やはり脊髄に損傷があるらしいが、手術しても治らないと言われた。タケシは、治らないなら、これ以上痛いめに合わせても可愛そうだから自宅療養すると言ってくれた。

 

しかし、僕はもう自分の力で、ウンコも出すことができないくらい悪化していた。タケシは僕の肛門に指を突っ込み、ウンコを出してくれた。僕は感謝の気持ちはあるが、痛いとタケシの指を思い切りかんだ。

 

永遠の眠り

 

6月の始め、タケシは、ショーゴに面倒を見てねと言い、東京に出張に行った。その日、僕は終わりの日が近づいていることを感じていた。

 

深い眠りについていると、ショーゴが目を覚ませと胸を撫でてくれていた。「お父さんが明日帰ってくるから待っていようね」と言った。

 

僕は最後に、もういちどタケシに会いたいと思った。タケコも寝ずに看病してくれた。

 

翌日、タケシは、夜おそく帰ってきた。よこたわっている僕をみつめ、からだをさすりながら、タケシは「ダンクよく頑張ったね、もう頑張らなくていいよ」と言ってくれた。

 

僕は「ありがとう タケシ、タケコ、ナツキ、ショーゴまた会おうね」とこころに思いつつ永遠の眠りについた。
 
 
終わり
 
 
ダンクが亡くなって一年になるので、一周忌をして、人間と動物のあり方を世に問おうと思って投稿しましたが、私達が、すべての生き物のいのちを大切にすることができないなら、人類には未来はないと思います。皆さんはどう思いますか。

 

2 件のコメント:

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  2. イケメンダンクのひとりごと」読まさして頂きました。
    この世に生まれしもの、いずれ去る事はわかっていても辛いことですね。
    ダンクの目線と僕が思っていた武志くんが、重なるよ。
    ダンク、幸せだったね。





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