2013年6月4日火曜日

ペットと軽く呼ぶのはやめてくれ!

 おはようございます。
昨日は、ダンクの一周忌を家内と、般若心経を唱え、供養しました。彼は昨年の6月3日に悪性リンパ種でこの世を去りました(6歳7ヶ月)。(死後、先生が大学病院に脊髄の細胞を送り判明しました。)つまりダンク(ドイツ語で感謝という意味です。)は愛犬ですが、私にとっては私達と同様だと思っていましたので、ペットという呼称が、この発音が軽くて嫌いでした。

     2歳の頃のダンク


petを英和辞典で調べてみると愛玩動物、愛児、愛人などと訳していましたが、いわゆるペッティングもこのpetから語源は来ているそうです。どうも、納得いかないですよね。

私達が子供の頃は、少なくともペットとは言ってなかったですね。何を飼っているのと尋ねられれば犬や猫とは答えるか、タロウとか名前を読んでいました。どうも私にはいのちが軽く扱われている気がしてならないのです。

アメリカニューヨーク生まれのエリック君(7歳)。(ペルシャ猫)息子の部屋を占領しています。


ダンクは、私が話しかえると首をかしげ、うなづいてくれました。それが不思議でしたが、ある程度のことはわかっているのではないでしょうか。犬種がピニチュアピンシャーですので、ほんとよく留守番をしてくれ、働きすぎだったかもしれません。

彼が亡くなって、「イケメンダンクのひとりごと」という短編を書きましたら、なかなか好評ですが、ダンクも人間と同じように、苦しんで亡くなりました。しかし、最期のときは、話しかけると安らかな顔をして逝ってしまいました。

火葬車で、家の前まで来てくれる葬儀社あり、そのおじさんと話していましたら、亡くなったらゴミと一緒に捨てる人が多いと聞いて、びっくりしました。日本人も頭がおかしくなったと思いました。今、犬や猫が要らなくなったら、勝手に捨てたり、市の殺処分場に持っていく人も多いとのことですが、死ぬまで一緒に暮らせないなら、最初から飼うなと言いたい。飼うという言葉も本当は、暮らすという言葉を使うべきだと思います。

動物も霊があることを知らない人間が、モノとして扱い、捨てる行為をしていたら、必ずよからぬことが起きると私は思います。だって、仏教では「一切衆生悉有仏性」と言って、仏性は人間に限らず、山川草木や動物、生類すべてに仏性があるということですから、私たちと同じように仏の心を持っているのです。

このことがわからない人は、犬や猫など生きとし生けるものを飼う(暮らす)べきではないと思いますが、皆さんはどう思いますか。





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