島倉千代子さんが逝ってしまいましたが、お墓もご準備され、きちんと終活をされていました。60周年記念の曲は「からたちの小径」で、南こうせつさんが作曲とのとのことで、楽しみにしていましたが、残念でしかたありません。
ウキペディアにより
「デビュー60周年を迎える予定だったことから、復帰への意欲は衰えずに持ち、同年10月中旬に一時退院した後、死去3日前の11月5日に自宅で記念曲「からたちの小径」を録音[17]。遺作となったが、「来年発売の記念CDボックスに入れたい」と関係者は語っている[18]。当初、レコーディングは後日の予定だったが、「その日まで待てない」と11月5日に急遽吹き込みが行われ、同曲の作曲を担当し立ち会った南こうせつは「1回位しか歌えないかと思ったが、3回歌った」「奇跡の歌声」と語っている。翌日6日には入院先の島倉本人から南へ電話がかかり、死期を悟るかのようなお礼の言葉を伝えた。「私の部屋の中にスタジオができて、そこで私はできる限りの声で歌いました。自分の人生の最後に、二度と見られない風景を見させていただきながら歌を入れられるって、こんな幸せはありませんでした。人生の最後に素晴らしい時間をありがとうございました」と涙声で南こうせつに感謝を述べた。」
スポニチより
「島倉さん お墓準備していた…ピアノかたどり、戒名も
生前に都内の墓地に建てていた島倉千代子さんの墓。正面には大きく「こころ」と刻まれている Photo By スポニチ |
肝臓がんで8日に死去した歌手の島倉千代子さん(享年75)が生前、墓を用意していたことが9日、分かった。
島倉さんは、相談相手だった住職がいる東京都内の寺院に墓を用意していた。
関係者によると、完成したのは6月ごろ。3・8メートル四方の広さで、インドで採れた黒御影石を使った。彫刻家の流政之氏が手掛け、ピアノをかたどった流線形のデザインになっている。
墓石の正面には大きく「こころ」と書かれ、その横に戒名が彫られた。戒名は「寳?院千代歌愛大姉(ほうしょういんせんだいかわいだいし)」。シングルだけでも300作、のべ1600曲以上を録音、愛唱した島倉さんらしい「歌」「愛」の文字が入った。
背面には「島倉千代子」の俗名とともに、「島倉忍」の名が並ぶ。
島倉さんは、プロ野球阪神の藤本勝巳との間に、1963年の結婚前に3人の子供を宿した。だが、悩み抜いた末に出産しなかった。その3人に共通して名付けたのが「しのぶ」。生前、「しのぶは心の支え」と語るなど、心の中にはいつも3人がいた。関係者は「島倉さんは産まなかったことを悔やんでいた。せめて墓の中で一緒に眠りたいという思いが強かったと思う」と話す。
もともと、この墓は来年で歌手生活60周年を迎えるのを前に、ファンとの触れ合いの場として建設。6月には自身のブログで「モニュメント」として紹介。「ファンの皆さまを勇気づけられる何かを形にしたいと思ったんです。淋(さび)しい時、悲しい時、嬉(うれ)しい時も、モニュメントに会いに来て下さいネ!きっと元気になりますヨ!」とつづっていた。
他人の借金を背負って苦労しただけに、生前から周囲には「香典は受け取らないで」と伝えていた。墓を建てておいたのも、「死後に誰にも迷惑を掛けたくない」という島倉さんらしい気配りからのようだ。
島倉さんは、相談相手だった住職がいる東京都内の寺院に墓を用意していた。
関係者によると、完成したのは6月ごろ。3・8メートル四方の広さで、インドで採れた黒御影石を使った。彫刻家の流政之氏が手掛け、ピアノをかたどった流線形のデザインになっている。
墓石の正面には大きく「こころ」と書かれ、その横に戒名が彫られた。戒名は「寳?院千代歌愛大姉(ほうしょういんせんだいかわいだいし)」。シングルだけでも300作、のべ1600曲以上を録音、愛唱した島倉さんらしい「歌」「愛」の文字が入った。
背面には「島倉千代子」の俗名とともに、「島倉忍」の名が並ぶ。
島倉さんは、プロ野球阪神の藤本勝巳との間に、1963年の結婚前に3人の子供を宿した。だが、悩み抜いた末に出産しなかった。その3人に共通して名付けたのが「しのぶ」。生前、「しのぶは心の支え」と語るなど、心の中にはいつも3人がいた。関係者は「島倉さんは産まなかったことを悔やんでいた。せめて墓の中で一緒に眠りたいという思いが強かったと思う」と話す。
もともと、この墓は来年で歌手生活60周年を迎えるのを前に、ファンとの触れ合いの場として建設。6月には自身のブログで「モニュメント」として紹介。「ファンの皆さまを勇気づけられる何かを形にしたいと思ったんです。淋(さび)しい時、悲しい時、嬉(うれ)しい時も、モニュメントに会いに来て下さいネ!きっと元気になりますヨ!」とつづっていた。
他人の借金を背負って苦労しただけに、生前から周囲には「香典は受け取らないで」と伝えていた。墓を建てておいたのも、「死後に誰にも迷惑を掛けたくない」という島倉さんらしい気配りからのようだ。
」
島倉さんの代表的な歌に「東京だよおっかさん」があります。今60歳以上の方なら皆さん知っている曲です。
「東京だよおっ母さん
(詩・野村俊夫/曲・船村徹)
久しぶりに 手を引いて
親子で歩ける うれしさに
小さい頃が 浮かんできますよ
おっ母さん
ここが ここが二重橋
記念の写真を撮りましょうね
やさしかった兄さんが
田舎の話を聞きたいと
桜の下で さぞかし待つだろ
おっ母さん
あれが あれが九段坂
逢ったら泣くでしょ 兄さんも
さあさ着いた 着きました
達者で永生き するように
お参りしましょよ 観音様です
おっ母さん
ここが ここが浅草よ
お祭りみたいに 賑やかね 」
日本人のこころの歌ではないでしょうか。若い方も彼女の歌をひき継いで欲しいものです。島倉千代子さんを偲びつつ、ご冥福を心よりお祈りします。南~無、、、合掌 徳温禅月。
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