2013年11月25日月曜日

「清貧の思想」から「清福の思想」へ

 おはようございます。
私の大好きな書物のひとつに、中野孝次先生の「清貧の思想」(草思社)があります。1992年の9月に出版されたのですが、それはいわゆるバブルと言われる日本経済がはじけた年です。それはアメリカ型経済の大量生産・大量消費時代の終焉であったのです。

経済が成長していくことを必ずしも否定するものではありませんが、その経済の成長に伴う大気汚染や地球温暖化などの自然破壊そして物質中心の物の考え方からくるこころの喪失が、多くの精神的病と、犯罪を引き起こしていることは事実なのです。

中野孝次先生は、日本人が本来持っていた精神の風土である清貧というものにをクローズアップしながら、現代人が取り戻すべき精神のあり方を提唱したのです。今から日本人そして人類が生き残っていくためには、知足少欲の考え方を持たなければ、数%の富裕層と大多数の貧困層が生まれ、社会矛盾をきたすからです。

ましてやミニバブルと踊らされ、株や投信に誘惑され、不労所得を得ようなどと思うですが、いつも儲けるのは機関投資家で、庶民ではないのです。多くの方が欲望を抱いて詐欺事件に巻き込まれ、わずかな退職金もなくしてしまう方も多いのです。

中野先生のお父さんは大工さんでした。先生は、「人間はまっとうに働いて生きるべき者で、盗みや詐欺や収賄や投機や、そんな手段で成功するのは間違っていると信じてきました。働くことを厭わなかった。かれらは仕事と自分の業に誇りを持ち、金儲けするよりもよい仕事をすることを望んでいました。」(「清貧の思想」より)

私は日本人が持つべき精神構造は、「清貧の思想」だと思っています。3年前ブータンの国王ご夫妻が日本を訪れた時に、幸福度が世界でもっとも高い国と紹介され、皆さんが注目しました。それは勝手の日本人が持っていた精神構造を持っていたからです。

そのことの生き方を、約2500年前に提唱したのがブッダです。「八正道」という言われていますが、ブッタは偏ることない中道の考え方と生き方を言ったのです。しかし今日の宗教界は、株式投資などに手をだし、宗教者としてすべきでないことをしています。

私は、ブッタが諭したこと、中野孝次先生の「清貧の思想」を、吟味し、継承し、飛躍させ、「清福の思想」を提言したいと思います。それは人は清く、汚れなく、正しく生き、働き、幸福な人生を送ると言うことです。

経済的な貧困は、決して良いものではないですが、同事にお金儲けをすることが成功とか幸福とは違うのです。最小限必要な貯蓄と、無駄な消費をしない生活、日常の生活のなかに喜びと幸福をみいだす生き方です。

バランスのとれた生活で、たとえば家計でいえば標準的な貯蓄をしている、働くことに生きがいを感じらる仕事をしているし収入が得られている、絵や書をかくなどの趣味を持っている、毎日、公園をなどをウォーキングし健康である、地域社会の行事に参加している、家族といつも会話しときどき食事に行く、そして神仏に手を合わせ感謝できる信仰を持っている、このよう調和のとれた生活が最も幸福な生活なのです。

たとえば遠路はるばる紅葉を見にいかなくても裏山の紅葉に「美」と「やすらぎ」を見ることができる清浄なる心を持つことです。同時に60歳まで東京で、都会で働いたら、故郷に帰って来ませんか。砂漠のような東京で高い生活費で過ごすのではなく、田舎でも趣味を生かして働ける場はあるし、自然のなかで、路傍の花にこころうたれ、雨読晴耕の日々を送った方がよいと思いませんか。

読者の皆さんに問いかけます。あなたの生き方、生活は、幸福ですか?皆様のご多幸を祈りつつ・・・合掌 徳温禅月。




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