2013年11月8日金曜日

仏道を歩くⅤ-祈りは聴きとげられるか?-

 おはようございます。
祈りの中で、切実な問題の解決を求めることが人生のなかで多々あると思います。祈り続けてその答えをいただいたことのある人は、さらに信仰がますのです。経験のない人でも最後のときにやって来ます。

ある方から父の最後は、肉体的な苦しみを越えて、笑顔でみんなに微笑みかけ、逝ってしまったとのお話を聴きました。このような人こそ御仏と一体となった方だと思います。「死」をそのように迎えいれたいものです。

ですから祈りは聴きとげられるかといえば、すべて聴きとげられます。観音菩薩様は、もっとも日本人にとって身近な仏様で、多くの信仰が向けられています。それは観音の「音」は衆生の声で、「観」は聴くと同じ意味です。観音様は私たちの祈りを聴いてくれています。

瀬戸内寂聴さんが「生きることば あなたへ」(光文社文庫)のなかで、『寂聴という私の法名は、出離者は寂なるか梵音を聴く」という意味だと、仏教の師である今東光師から教えられています。梵音とは、鐘とか木魚とか、お経の声とか、仏教に関係あるすべての音です。また春の小川の音、小鳥の声、赤ん坊の産声、恋人の愛のささやき、この世の森羅万象のかなでる快いすべての音です。それを出家した者は寂(しず)かなこころで聴くということです。』と書いていますが、いい法名ですね。

私の戒名は、「徳温禅月」中野東禅先生が授けてくださいましたが、そのぞれの字に意味があるのです。徳のある人、温かい人、禅を究める人、月のように丸い人を目指せという意味で、日々精進させてもらっています。

中野東禅先生からは、「教育を通して温かい心を伝え、そのさわやかさは生まれた秋の月のように澄んでいる徳を表します。」と言葉を添えていただきました。戒名っていいでしょう。皆さんも受戒得度しませんか。

そして寂聴さんは、「祈りの習慣を持った人は必ず、自分の祈りにみ仏が今応えて下さった、という実感を得た経験を持つのです。」と書いています。

「幸せなときにはありがとう。
苦しい時には力を下さい。
淋しい時には聞いて下さい。
いつも
地球のすべての人が幸福で
平和でありますように。」 

そして

「亡くなった人の霊はあなたのしあわせを祈っているのです。
かならず、あなたを守ってくれます。
そのことを先ず信じること。」と「生きることば あなたへ」(光文社文庫)に書いてありました。

みなさん、いい本を読みましょうね。読書も本を選ばないといけません。本との出会いもご縁なのです。今週末を迎えますが、一週間お疲れ様でした。近くの山に登って、紅葉を眺め、心身を休め、英気を養いましょう。皆様が健康でありますようにお祈りしつつ・・・合掌 徳温禅月。



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