2013年7月26日金曜日

黒田如水「水五則」にまなぶⅤー器量ー

 おはようごいます。
昨日は、大分県日田市で第三回九州県際サミットinひたがあり、林芳正農林水産大臣の基調講演「明日の九州を林業から考える」とパネルディスカッションが二部ありましたが、林大臣がPPTにまとめてわかりやすく講演したので、彼の誠実さがでていました。上に立つ者も、このような謙虚さが必要です。パネラーが17名出席したのですが、企業のトップと、各市長さん達が11名いましたが、それぞぞれに個性がありました。


林業も六次産業にどのように育てて行くか、観光は言葉には出なかったが、まさにロングトレイルで、滞在型でその地域の自然と歴史文化を提案できるものが、県境を越えてそれぞれが連携していく必要性を話していました。私が提言してきたことが間違いないことを確信しました。

さて、黒田如水の「水五訓」の第四則は、「みずから潔うして他の汚濁を洗い、清濁あわせいるる量は、水なり。」です。

人間は、だれしも良いところとわるいところや、プラス面とマイナス面、長所や欠点、強い点と弱点などと表現されますが、清濁をあわせもっているわけですが、清流に行くと水は澄みきっています。長い年月をかけて湧水が出てくるように、身を潔めなければなりません。それが修行です。


でも上司は部下が清濁をもっていても、それを受けいれて、使いこなしていく器量をもてと言っているのです。人それぞれいろんな性格の人がいますが、これを木に例えてお話された法隆寺再建の棟梁であった西岡常一さんの口伝をご紹介します。

「塔組みは、木組み
木組みは、木のくせ組み
木のくせ組は、人組み
人組みは、人の心組み
人の心組みは、棟梁の工人への思いやり
工人の非を責めず 己の不徳を思え」 
                        (西岡常一・小原二郎「法隆寺を支えた木」NHKブックス)

上に立つもの、リーダーと言われる人たち、指導者などすべて西岡さんの言葉を噛みしめれば自ずと何をすべきかが見えてきます。結局、器量が大きくないと人はよって来ないし、ついていかない、器量を大きくするには、自ら修行し、努力するべきだと思いますが皆さんはどうですか。

黒田如水「水五則」第四則「みずから潔うして他の汚濁を洗い、清濁あわせいるる量は、水なり。」です。じっくりあじあってください。よい週末をお過ごしください。来週またお会いしましょう。








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