2013年7月30日火曜日

「空海の風景」を読むⅠ

 おはようございます。
ビジネスマン時代、現在、盛和塾を主宰している稲盛和夫塾長の書籍を読むにつれ、仏教哲学を知らなければ経営はできないな(経営者になれないな)と思いつつ、稲盛和夫氏の本をほとんど読み漁り、次に松原泰道先生の「般若心教入門」を読みました。そして五木寛之氏の「他力」に始まり、津本陽氏の「無量の光」、野間宏氏の「親鸞」を読み、立松和平氏の「道元禅師」そして司馬遼太郎氏の「空海の風景」を読んだのが5年ほど前のころです。

日本作家とほとんどが、死ぬまでには、この仏教という門をくぐらなければならない宿命を負っているし、日本人のほとんどが、神仏習合であるが、仏教をこころの拠り所にしているので、自分の信仰を確かめなければなりません。

定年退職をし、高野山大学大学院か、東京国際仏教塾か、どちらに行くか迷いましたが、真言宗のまえに総合的に仏教を学ぶべきだと思い、東京国際仏教塾を選びました。仏教塾も基本コースが終わると、専修コースになり、宗派を選ばなければならないのですが、なぜか真言宗でなく、曹洞宗を選んだのです。

候補に上ったのが、親鸞さんの浄土真宗、空海さんの真言宗、道元さんの曹洞宗でしたが、曹洞宗を選らんのは、仏教の基本は、釈尊であり、座禅にあると思ったからと、教授が中野東禅先生でしたので、曹洞宗コースを選びました。そのときに必要な師を神仏は与えてくれるものだと思います。
四国88ヶ所巡りお遍路さん、空海さんと同行二人

日本仏教には、聖徳太子に始まり、多くの名僧が輩出していますが、どうしても頭から離れられない人物が空海さんであり、親鸞さんであり、道元さんですね。先日、書店で「もうひとつの空海の風景」(篠原令著)に出会い、以前読んだ司馬遼太郎さんの「空海の風景」を読み返しながら、空海さんと真言密教を考えてみたいなと思い、時間のかけながら、『「空海の風景」を読む』を書いてみようと思った次第です。

また、合理主義者と自称した司馬遼太郎さんがなぜ、その対極にある密教、空海さんに迫ろうとしたのか、書いたのか、これが面白いと思ったわけです。それは、頭のよい人ほど、宗教を科学的でないと否定するが、その心の奥底では魂は飢え渇いているのです。

司馬遼太郎さんにとって、「空海」がそこにいたのです。さて今日は序文として「空海の風景」を読みながら自分の空海さんにたどりつきたいものです。皆さんも「空海の風景」(中公文庫)を読んでみてください。ある意味で、司馬さんの風景の描写は素晴らしいですよね。

例えば、人間は努力すれば何々になると言いますが、いわゆる職業や俗世における成功者になっても、努力したから、キリストや釈尊、そして空海や親鸞や道元にはならないのです。それは生を受ける前から使命をおびて生れてきていると思うからです。明日は空海さんはどのようにして生れてきたのかを書きます。乞うご期待。



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