九州でも朝晩は冷え込み、九重連山は紅葉が色あざやかになってきました。ところで毎年、何回かお墓参りをしているという人は、全体の何%だと思いますか。読売新聞(2005年)が日本人の意識調査をしたところ、神仏に関わることのうち、なんと一位がお墓参りで79%、二位は初詣70%、三位は仏壇、神棚の礼拝で55%でした。
あたりまえと思う人と意外と思う人に分かれると思います。都会の人と地方の人の違いもあるでしょう。若い人と高齢者の違いもあるでしょう。平均的な数字かもしれませんね。全国で少年の非行率の一番低い県は鹿児島県で、皆さんが小さいお孫さんを連れてお墓参りに行くそうです。子供の頃からお墓参りをしているのです。
このような環境で育った日本航空を再生した京セラ名誉会長の稲盛和夫氏や、先日取り上げた地域を再生した柳谷公民館長の豊重哲郎さんなど多くの方が、人のためになることをしている鹿児島県出身者が多数おられます。
地域再生の講演をされいる豊重哲郎さんです。
では墓参りという行為の中に何があるのでしょうか。よく宗教は嫌いだが、墓参りはすると言う方もおられますが、どのように礼拝するのでしょうかね。少なくとも仏教と墓参りの意味をよく理解していないとご先祖の供養にならないし、世間体でしているか自己満足だけになってしまいます。
昔から日本では、先祖を敬うことが大切であり、そのことは民俗学として柳田國男さんが、膨大な調査研究で、著書に残している中の「先祖の話」という本で、「すなわち先祖にはその志(子孫を加護し、繁栄をもたらし、また悩み苦しみを救うという志)があり、またその力(実現する)があり、また外部にもこれを可能ならしめる条件が備わっているということを、(人々は)久しい経験によって、いつとなく覚えていた」(「新訂先祖の話」石文社)と書いています。
それは昔の人は、観念ではなく、実体験しているのです。仏教と神道が神仏習合していくのは、神道では人が神になるのです。大宰府天満宮では菅原道真を祀っていますし、仏教では、人は死後三十三年経てば仏(成仏する)となるからです。
つまり霊があり死後、霊は存在し、それは力を持っているということですよね。阿弥陀仏も法蔵という僧が祈願し、阿弥陀如来となって衆生を救ってくださっているのです。(私は霊は如来のみもとにあると思っています。)
「先祖」は、これを祭る子孫に様々な恩恵・恩寵(健全な幸せ)をもたらすという特性があるが、それは先祖の「志」であり、それを実現する「力(霊力)」を持っている、と日本人は信じていたことがわかるのです。(小畠宏允氏石文化研究所所長)
仏陀は、自らの死後のあり方を弟子に。「これは偉大な悟りを開かれたブッダのストゥーバ(仏舎利)であると心に念じると、多くの人々の心は清浄になり、心が清浄になると、死後に身体が壊れた後で、善いところ・天の世界に生れるのである。・・・・ストゥーバをつくって礼拝すべきなのである」(「ブッダ最後の旅」中村元訳岩波文庫)
お墓参りの意味がおわかりいただけたでしょうか。結論はお墓や納骨堂は必要であり、お墓参りをすることは心が清浄になり、生きる力が与えられるのです。東京では約30%の人が、お経も上げず、供養もせずに、直葬という葬儀形態をとっていますが、あとあと問題になることはたしかでしょう。
その背景に、葬祭業社の高額な葬儀料金と寺院の戒名代があるのですから、過度な葬儀を改め、適正な料金に戻ることが必要です。同時にお墓についても同様で、墓苑や墓石業者なども適正価格が問われていますので改善していって欲しいものです。
お墓(納骨堂)の種類の変化してきていますので、それぞれがご事情にあわせてお選びになり、子供さんやお孫さんにお墓参りや先祖供養の意味を教え、同行されることで家内安全で家族に幸福がもたらされるのです。また悪しき戦後教育を見直してもらいたいと思います。
大分県日田市三隈川河畔の日没
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