おはようございます。
おかげさまで、本日62歳の誕生日を迎えることができました。私が人生を大きな区切りにわけて生きて行こうと思ったのは、五木寛之さんの「林住期」や「遊行の門」を読んでからです。人生は自然界の四季である「春夏秋冬」であると思うようになりました。
もっと言えば、春とは「青春」で、学生期ですね。夏とは「朱夏」で、家住期です。そして秋とは「白秋」、林棲期という言葉を使います。五木さんの林住にすると臨終と間違えられるから林棲と書きました。そして冬とは「玄冬」、遊行期です。
このことは自著「生き方そして働き方」(HPから印字できます)に書いたのですが、私たちは生まれて、学びながら育つのに、約20年かかります。そして就職し、結婚し家庭をつくっていくのです。この期間が一番長く約40年、そして子供たちがひとり立ちし、還暦を迎える60歳の頃から人生を考える、ある意味では実りの秋ですから人生の収穫期なのかもしれません。80歳を過ぎたら、死への旅立ちを意識して生きると思うのです。
昔、学生の時に、兄のご縁でマラソンの瀬古さんを育てた早稲田大学陸上部監督の中村清監督からお説教をしていただいたことがあります。中村先生は、「自然界には時があり、すべての生き物は時を刻んでいる。たとえば蝉は、暑い夏に木をよじ登り、脱皮して鳴くことができるが、もし1ヶ月早くでてくれば温度が低くて死ぬかもしれない。決して早く出てこない。自然界の時を、体に刻んでいる。ところが人間は、すこし頭がいいと、小理屈を言い、18歳で政治だの、革命だの言う、それでは生きて行けない。学生の時は勉学に励むべきで政治活動などすべきでない。人生には時がある。」とお話してくれました。
若い方は、今はそれぞれの仕事に全力投球で頑張って欲しいと思っています。今することを今しないとあとではできないのです。まさに「今でしょ」という流行り言葉の通りです。学生の時に勉強しないといつ勉強するのでしょうか。
中村先生の座右の書に、「聖書」と「正法眼蔵」があり、それを見たときに先生のように偉くなるために、「聖書」と「正法眼蔵」を読むぞと心に思ったことが実現しているのが不思議です。
59歳の時、兄(享年66歳)と友人(享年57歳)を立て続けに亡くし、還暦になったら、定年退職をし、人生、生と死を考えようと思い、東京国際仏教塾に通い、中野東禅禅師より得度受戒をしていただき、「徳温禅月」という戒名をいただきました。皆様のご恩に報いるため、ひとりでも多くの方に仏法をお伝えしたいと思っています。
また、団塊世代や高齢者の皆さんが、「人生の終焉を考えることを通じて、自分を見つめ、今をよりよく自分らしく生きる活動を終活を言います。」と定義した(社)終活カウンセラー協会の皆さんと、終活支援活動ができるようになったことは林棲期の生き方だと思います。
人生とは何ぞやは、それぞれがお迎えがくるまでに、しっかり考えて答えをだせばいいのではないでしょうか。皆さんが充実した人生を送られることをこころよりお祈りいたします。合掌 徳温禅月。
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